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その179

ラブ イズ ブラインド

 以前の号で「人は偶然の出会いという運命の中で生きている」なんて事を書いたが、人は年を取ると偉ぶって悟ったようなことを書きたくなる。

 私が初めて出会った人は、病院で私を取り上げてくれた医者か産婆さんなのか。

「産婆さん」は、以前は「助産婦」で今は「助産師」というが、産婆カーニバルなんていう祭りはリオデジャネイロにも、ないデジャネイロ。

(苦しいダジャレには、「生み」の苦しみが伴うな)

「♪一二、サンバ、二二、サンバ」は、郷ひろみの「お嫁サンバ」だが、「でき婚」でお腹の大きい花嫁さんが「サンバ」を踊って産気づくと、サンバで産婆なんちゃって。

「♪こんにちは赤ちゃん」は昭和のヒット曲だが、私が次に出会ったのは私の母親なのか。

 記憶にはないが、生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えないので、出
会った母の顔の記憶はない。

 でも記憶は、不思議なところがあり、かなり昔のことを覚えていることがある。

 ロンドン日本学校の勤務を終えて帰国し、すぐに勤務した学校のPTA会長が、偶然にも同じ幼稚園に通っていた方だった。

 着任してS会長に挨拶したのだが、なんか初対面のような気がしなかった。どこかで見た顔だ。

 中学校でもない。小学校でもない。思い切って「もしかして、めばえ幼稚園にいませんでしたか」と聞いたら、いたと言う。年齢も同じだ。

 当時の幼稚園が北町にあったことなど昔話しながら、当時の記憶がよみがえってくる。

 S会長も、附属小を受験したのだが落ちたらしい。私はたまたま運がよかったのか受かった。

 子供の頃は、めばえ幼稚園は全員が附属小に進学したと思っていたが、そーでもなかったのだな。

 附属小は「めばえ幼稚園」の他に「聖愛幼稚園」出身者も多いことが最近わかったが、学校は人生の出会いの場所だ。

 高校、大学は学校の選択に自分の意志も働くが、幼稚園や小学校は親の意向で、子供にとっては自分の意図ではない「偶然の出会い」の場ともいえる。

「めばえ」だが「♪もしも、あなたに出会わなければ、この私はどんな女の子になっていたでしょ」は、浅丘めぐみのヒット曲だ。

「もしも、・・ならば」なんて仮定の話しには答えられないのだが、そう思ってしまうのが人間で、仮定の話を妄想する事は、実は楽しい。

 人生は「出会いケー」だが、眞子様は文字通り「出会い、圭」になってしまったな。

 周りが反対すればするほど、二人は燃えてしまう。

 宗教も同じで周りが弾圧、迫害すればするほど、宗教心が強固になりカルト化して、最後には殉教なんてエスカレートするので注意だ。追い詰めてはいけない。

 秋篠宮も眞子様には「アキラメの宮」になっているが、自分の「子ども」ゆえに指導助言が難しいのが世の常だ。

 親の思うように子供を育てることは簡単ではない。

 英国のエリザベス女王だが、彼女の叔父エドワード8世の王位返上がなければ、今のエリザベス女王はなかった。

 エドワード8世はアメリカ人のシンプソン夫人とデキてしまって、駆け落ちしたのだからスゴイ。さすが大英帝国はやることが違う。

 シンプソン夫人の写真を見ると、そんな美人でもない。

 チャールズ王子の再婚相手のカミラ夫人もだが、英国王室の男性のコノミは時々理解できない。

「恋は盲目」だが、この言葉、今は視覚障害者団体からクレームがつかないのか。

「ラブ イズ ブラインド」だが「ラブ イズ オーバー」にならないようにと祈りながらも、「オーバー」になった方が結果、幸せになることもある。

「♪ラブ イズ オーバー、若い過ちと、笑って言える、時がくるから」は欧陽菲菲の歌だが、「若い過ち」と死ぬまで気がつかなければアヤマチでもなくなり、それはそれで幸せだ。

 年老いて死ぬ間際で、「若い過ち」と思うことは不幸だ。

 私の人生はアヤマチではないがイマイチなので、あと少しガンバル。

 (2021.11.6)アンブレラあつし

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