パラリンピックが始まったが、次回はパリ開催で「パリリンピック」になるのか。
パラリンピックだが、世間はセクハラ、パワハラ、モラハラなどのハラスメントが競い合い「ハラリンピック」になっているな。
ハラスメントは嫌がらせ、イジメ行為だが、人を虐める事は快感で面白い事で人間の本能ともいえる。
今は、それが発覚すると、マスコミに煽られ「炎上」するが、それもまた集団イジメでタチが悪い。
直接関係ないのに怒りをバラマキ、騒ぎを大きくする「市民」が多く
いる。
「無関心」は悪い語感だが「過関心」もカンシンできない。
何にでもクビを突っ込む輩だが、それが仕事になって、タレント芸人が、当事者でも専門家でもない野次馬なのに、もっともらしい事を言うのでウンザリ、ザリガニだ。
多くが「あっしには関わりのねーことでござんす」とクールに突き放す事ができない、ネット監視社会になっているな。
話しは変わるが、3・11後の私のボランティアについて、以前の「通信」で話題にしてもらい、内心照れてしまう。
かなり前の号でも書いたような気がするが、福島市内の各高校の体育館が、原発事故の避難所になった。
老若男女多くが体育館に収容されていた。
私は前年に早期退職していたので、時間的には余裕があった。
断水になり、実家などに飲料水の補給などの仕事はあったが、給水車は時間で各地区に来るので、ヒマになる時間がある。
避難所の様子をニュースで見て、直感的に思った事があった。それは「棲み分け」だ。
体育館の中を小さな子供達が走り回って、高齢者が落ち着いて休めないのでいる。
短時間でも子供達を集めて「子守り」をすることが必要だと思った。
以前に勤務した学校が近所だったので、児童向けの紙芝居を学校から借りて、自転車で避難所巡りをした。
車はガソリンが無いので使えない。市内の高校8校と附属中を巡回した。
なるべく単発で終わることのないように、ローテーションを作って一校につき数回訪問するように計画した。
「紙芝居」は桃太郎とか金太郎などの誰もが知っている物語がウケる。
子供だけでなくお年寄りも集まってくる。
各体育館を巡回すると、同じ避難所でも整然とした所と雑然とした所がある。
整然としている所は、集団の指揮系統がしっかりしている所で、避難者と避難所をサポートする職員の関係がうまくいっている。
避難所にはマスコミも何かネタになる話題を求めて取材に来る。
私の紙芝居活動が取材されそうになったので、思わず逃げた。
記者のネタになりボランティア美談に利用されたくない。
安易にインタビューを受けると彼らの「作文ストーリー」に組み込まれてしまう。
二度目、三度目の訪問になる頃から、避難所も次第に撤収されていった。
誰も居なくなった体育館は、一時の喧噪は嘘のように静かで避難場所だった事が遠い昔のように感じた。
「おじちゃん、次はいつ来るの」の私に聞いてきた小学校2年の女の子がいた避難所も、次に行ったときは撤収されていた。
人生は出会いと別れだな。
「棲み分け」だが、コロナ禍で社会のそれぞれの居場所が安定しない。
子供は学校に、大人は職場にとそれぞれの居場所に棲み分けないと社会が混乱する。
テレワークで家族が狭い家に朝から居るのは、ツライ。
「亭主元気で留守がいい」はCMのセリフだが、亭主は朝から職場に行って、定時には帰宅せず残業したり、時々は安居酒屋に行って遅く帰宅すると家族も実は助かる。
パラリンピックも、障がいの内容や程度によって「棲み分け、クラス分け」して競技が行われる。
「共生社会」も大事だが、適正な「区別社会」も必要だ。
前記した「あっしには関わりのねーことでござんす」は木枯らし紋次郎のセリフだ。
「風に吹かれて」の私は名前は淳(あつし)なので、「あつしに関わりのねーことでござんす」とクールに生きたいが、世間に一喜一憂しながら野次馬と人馬一体になって生きているアッシです。
(2021.8.28)アンブレラあつし |