その170 |
♪花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道 |
前号で「白内障手術」の事を書いたが、おかげで以前より見えるようになった。
日帰り手術で簡単とは聞いてはいたが、世の中に「絶対」ということは絶対ない。万が一、失敗すれば失明だ。
術後、両目に眼帯状態なので看護師さんが、私を車椅子で手術室から病室に運んでくれた。
約一時間は眼帯をつけてベッドで安静にしているようにと指示されたが、もし眼帯をとっても目が見えなかったら、どうしようと不安がよぎる。
これからの人生「目の前、真っ暗」とはこの事だな。
しばらくして、マナーモードにしてベッド脇に置いていたケータイの振動音がなり出す。
目が見えないので操作はできない。いったん止まるが、またなり出す。困ったものだ。
眼帯をしているので着信履歴も見えない。
全く目が見えない人ってケータイを、どう使うのだろうと考えたりする。
部屋には、もう一人、これから目の手術をする患者がいた。
私より高齢者で七十半ばくらいの方だ。いわき市から来て宿泊入院するらしい。
地元の眼科でも手術はできるらしいのだが、心臓にも疾患があるらしく、急変を考慮して眼科医に総合病院のここを紹介されたという。
心臓に不整脈が時々発生するらしいと聞いて、私は思わず手元のナースコールを手探りした。
もし隣の患者に異常が出たら私がナースコールをしなけらばならない。ボーっと寝てもいられない。
世間話もいいが、よけいな情報が入ると仕事がふえるな。でも何か人助け出来ることがあれば、厭わないのが善良な市民だ。
なんて思っているうちに彼の番が来て、看護師に連れていかれた。
暇なので持参したポケットラジオをバックから探してスイッチをいれるが波長が合わない。
昔から「波長が合わない」ことはシバシバあったが、これからもきっとあるな。
しばらくして眼帯をとってもらったら、看護師さんの顔が見えたので安心した。
看護師さんはマスクをしていたので顔はよくわからない。
きっと「白衣の天使」に違いないが、昔、飲み屋街に「白衣の天使」というキャバレーがあって、前を通るたびにドキドキした。
看護婦が看護師に、保母さんが保育士になって、昭和の世界のドキドキ感が今はない。
「看護師も保育士も女性がいい」なんて、時代に逆行、写真に逆光だが、「♪花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道」なんて昭和過ぎる歌があった。
「男女共同参画もジェンダーフリーも踏み越えて、行くが男の生きる道」なんて書いたら「炎上」の時代だな。
話しは戻るが、手術の前の週に、手術の方法などビデオで見せられる。
医者が長々と説明する時間を節約しているのか。確かに最近の医者は説明が長い。
専門的な事を言われても、こちらとしては「お任せ」するしかないのだが、医者としては「説明しました」という事実が必要なのだろう。
医療クレームが多い世の中なので医者も大変だ。
手術の前日に、医者に何か不明な事はありませんかと聞かれたので、ビデオの説明にあった「多焦点」レンズ方式(近眼や老眼のメガネを使
用しなくても見えるようになる方式)について聞いてみた。
メガネをかけたのは高校時代だから、メガネをとれば中学時代に戻れそうな気がしたのだが、医者より「それは70万くらいかかります」と言われ、即、断念した。
今さら、この年になって金をかけたくない。ツーカ、世の中やっぱ金なのだな。
「単焦点」レンズ方式でも約8万だ。70万が「ハシタガネ」にはならない私には「シカタガネ」ことだ。
視力が安定したらメガネも交換だが、レンズだけにしてフレームは再利用するかなんて「持続可能」な社会に生きようとする善良な市民の私です。
以前にも話したが、二回のワクチン接種をした私に「抗体」は確実にできているのだろうか。
二回とも副作用がホボ無かったので不安だ。
昔から「バカにつける薬はない」というが「バカにきくワクチンはナイ」のか。
いつもの自虐ネタだが、女性に「モデルナ」ワクチンとか、「アストラゼネカ」は「アストラ銭か」なんて意味不明の言葉アソビをしているボクです。
(2021.7.3)アンブレラあつし |