上野公園以外での水撒活動の事は前回取り上げたが他にもある。
JR山手線の五反 田から大崎まで沿線ぞいに歩きながら、公園等で水を補給し路上に水撒き活動を するというミッションである。
今から思うとかなり馬鹿げているが馬年なので鹿(シカ)たない。
ホテルのチェックアウト時に風呂の余り水をビニール袋に補給して出発する。
用意周到というか変であるが、変であるという自覚があるので変ではない。本当に変であれば変とは思わない。人がヘンになるとにんべんになるのか。
中学時代のクラスメイトに「にんべん仲村」君がいた。他の組の中村君と差別するために「にんべん」と呼ばれていた。
まともだったが英語の発音だけが変だった。夏の同窓会で発音のことを指摘したが今ひとつ納得していないようだ。
私は英国に3年住んでいたと自慢してから指摘すればよかったが「負組」らしくないので自慢話はせずに説得を諦めた。
訛りは誰にでもある。
途中に小さい公園もあり水を補給しながらほぼミッションは達成した。多くの人は無視であった。
その気持はよくわかる。私もそうする。風体が怪しすぎる。健全な判断だ。
健全な判断ができない人もいる。子どもだ。
川沿いの整備された歩道で会った男の子が関心をしめしたのでいくつか動物を描いた。
同伴の若いお母さんも興味を示し、しばらくして父親も近くのマンションから出てきた。
そしたらなんという事でしょう。前日にこの親子が上野公園を訪れて私の活動を見たという。
その時は怪しいので遠くから眺めてたらしい。まともな家族だ。こんな出会いもあるのだ。
なんという偶然。この東京でこんな出会いがあるのである。
しばらく話をした。絵にかいたようなニューファミリーで幸せ感があふれている。さわやかで着ている服もしゃれている。
私はどんな顔で話をしていたのだろう。
大崎駅のトイレの鏡にうつった自分の顔は疲れ気味の貧相な顔だ。ザックを背負い晴れなのに傘を持っている。服もよれよれだ。怪しすぎる。
福島に帰ってから福島市の「ど真ん中ではない」スーパーに行って流行の服を三割引きで買った。
翌週、自信満々で上野公園に行きキャットウオークで水撒き活動をしたが出会った女性に「おじさん昭和っぽいね」とほめられた。
しょうがないので「うん、わざと昭和っぽく装って活動してウケをねらってる」と返答した。
笑い話だが、購入したスーパーがジョークベニマルなのでやむなしだ。今度は西 口の大型スーパーでこーでねーとしてやると思った。
私の血液型もO型なので似合う服が見つかると思う。自分で選ばないで若い店員さんにこーでねーとしてもらおう。
写真を持っていって「こんな風に」と具体的にお願いしよう。
いつもいくスーパー床屋で髪型を聞かれるが「オールバックで」と具体的にお願いすると、鏡に写る理容師さんの顔が瞬間とまどい次に微笑みに変わるのは気のせいか、ケのせいか。
それとも、いつもの妄想か、毛想ではないのか。
前号は12月8日に送信したが、なんという偶然、話題にしたジョンレノンの命 日と同じ日で、話題にした真珠湾攻撃の日も12月8日だった。
これを意図して 送信したとしたら私は相当のライターだ。百円ライター以上だ。
すべてが偶然ともいえる。偶然生まれて偶然死んでいく。それだけのこと。それを寿命という。
寿命がある間は「日々是好日」で生きたいが「日々是口実」になる私だ。文章も書けなくなったら「日々これ口述」するしかない。
偶然も必然でありすべてが予定調和と思えば何もかもが許せる。
「運命」に降伏すれば幸福だが科学的ではない。
オクラホマミキサーの不条理も予定調和なのだ。偶然に音楽が終了したのではない。必然に突然終わったのである。
「あーる日突然」失語症になっても、貴女と私はトワに萌えるのか。
突然「別れた人にあった」のは、偶然「別れた時と同じ」渋谷で雨の日か。
シルビアの不幸は必然だったのか。
サルビアの赤い花は突然変異か。
偶然変異、必然変異というのはないのか。
メンデルの法則は進化論を神化させたのか。
ヘンデルとグレテル姉ちゃんはヤンキーか。
赤毛のアンデルセンはグリムジンを運転し偶然人魚に出会ってギョとする。
「偶然が必然になる突然変異細胞」のテーマで理研の彼女と利権ぬきで共同研究しよう。
ノーベル賞をとれば、きっとあの娘をふりむかせる事ができる。
偶然をよそおいまちぶせをする私の「ひとみ」は輝いていた。
(注)ヨークベニマルは福島県にあるスーパーで月の半ばになると「ど真ん中、 ど真ん中」と心臓のど真ん中に響くリズムでCMをよく流します。
(注)西口の大型スーパーとはセブンアンドアイ系列で清少納言が博多弁で、のたまうと「いとよかど」になります。
(2014.12.21)アンブレラあつし |