前号のタイトル「♪そのうち、なんとか、なるだろう」だが、コロナについて言えば「♪そのうち」が、一体いつのコロナなのか不安になってきた。
春のコロナのか。夏のコロナのか。それとも来年のコロナのかと変異するコロナなので心配だが、心配する事を停止することを、心肺停止とはいいませんから。
「♪なんとか、なるだろう」だが、オリンピックは「何とかなる」のか。いろいろ予想するが無駄な予想はヨソー。
このさい、オリンピックも「テレワーク」で実施、いよいよ難しくなれば、東京はオリンピック開催都市を「降りんピック」なんて新年ソーソー、ジョーダンはヨシ子さんだな。
「ジョーダンはヨシ子さん」だが「ジョーダンはマイケルさん」と言っても、誰も笑ってくれないか。
前号写真のクレージーキャッツの映画「日本一の無責任男」だが、あの頃は社会全体に「責任感」があったので、「日本一の無責任男」という言葉にインパクトがあり映画になった。
今は私も含めて普通に無責任な時代なので、「無責任」がタイトルの映画など話題性がないしヒットしない。
「♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」なんていう歌詞もあったが、実際には当時の多くの労働者は勤勉で責任感があったので、戦後日本は奇蹟の高度成長を遂げた。
奇蹟の成長を成し遂げた世代も多くが「鬼籍」に入ったが、昭和の軌跡は奇蹟だな。
平成の阪神大震災や東日本大震災と原発、令和のコロナなど大事件だが、昭和の戦争と敗戦に比べれば、まだまだ「どーってこと」ない。
と、空威張りしてはみたが、今のコロナもやっぱ何かと大変で「どーってこと」アルアル卒業アルバムだ。
「責任」だが「親の責任」と言う言葉はあって「親の顔がみたい」という言葉もあったが、最近は聞かない。
子供は社会全体で育てるものなどとノタマウ評論家がいて、政治家や行政、マスコミも「大衆」に迎合するので、保護者責任の所在がアイマイ・ミーになる。
暇なNPO団体が「子ども食堂」なんていう「慈善活動」をするので親も甘えるが、子どもに責任を持てるのは親だけだ。
責任のない他人がNPOの名のもと人様の子に食べ物を与える事は不自然なことなのだが、マスコミが美談に取り上げるので助長する。
政治家の責任だが、歴代首相の中で田中角栄がいまだに人気がある理由の一つは、自分の政治活動の結果や失敗を秘書の「責任」にしなかったからではないだろうか。
彼と共に有罪になった秘書もいたが、彼自身も責任を果たして罪を償い「秘書」にだけ責任を押しつけることはなかった。
A前総理の評価は、これからある程度の時を経て、歴史の中で判断されるだろうが、「秘書が、秘書が」と言い訳しているうちは、恐らく高評価はされないな。
上司は部下の「監督責任」があるのだよ。
K大学駅伝部監督の「男だろ」の「檄」をA前総理にも聞かせたいが、彼のシンゾウに「檄」は刺激が強すぎるか。
なんて新年ソーソー、信念も責任もない昭和Gさんの長ったらしいグチで恐縮です。
昔、よく「明治100年」という言葉を聞いたが、前回の東京オリンピックと大阪万国博覧会の間の1968年に明治100年祭というイベントを実施したらしい。
記念式典はよく憶えてないが、明治維新、富国強兵、そして戦後の復興を記念して、イケイケニッポンを象徴するイベントだったのだな。
「昭和100年」を考えると2025年か2026年あたりになるが2025年って、「♪もしかしてー、もしかしてー」大阪万博か。
大阪万博も二回目なので「もしかして、パート2」だが、まさかその頃はコロナは収まっているのだろうな。
「大都会パート2」や「西部警察パート2」など「パート2」が、流行った時期があったが、コロナパート2はトヨタの「コロナマーク2」ほど流行らないでほしい。
「東京オリンピックパート2」も何か微妙で「♪もしかしてー、もしかしてー」だ。
ツーカ、私自身も「♪もしかしてー、もしかしてー」昭和100年まで生きてないかもしれないが、「憎まれっ子世にはばかる」なので、やっぱ、ハバカッテいるのか。
「人はハカバに行くまでハバカル」なんて、ハカバカシくない、いつものバカバカしいブログを書いているボクです。
(2021.1.16)アンブレラあつし |