前号で話題にした三島由紀夫だが、今年は没後50年らしい。
彼は「盾の会」という組織をつくり活動していて、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したが、その時に盾の会のメンバーも一人「殉死」している。
三島由紀夫は、自衛隊員を前にバルコニーで演説をしたが、演説内容に賛同する隊員はいなかったらしく失望したと聞く。
自衛隊は「専守防衛」で、もともと「盾」の機能を持つ組織で、十分に「盾の会」なのだが、彼は自衛隊に「盾」だけでなく攻撃機能「矛」も求めたのか。
「矛」と「盾」で「矛盾」だが、世の中は「矛盾」だらけだ。
安全保障でいえば「先手必勝」が一つの防衛手段だし、やられたら「倍返し」するくらいの装備がなければナメラレルのが現実の国際世界だ。
国際情勢はパワーバランスで、油断すれば国境侵犯で脅かされる。
「憲法九条」を理由に自衛隊は軍隊で違憲だなんて意見する方々には、ついてイケンし、「非武装中立」なんていうのはムシのいい話で、世界的には無視されるきれい事だ。
自国を守るための軍事力であっても、「矛」としての攻撃力と「盾」としての防衛力の二面性が必要だ。
剣道では竹刀が「矛」で防具が「盾」だが、竹刀がなくて、防具だけでは、相手の矛(ホコ)にボコボコにされる。
竹刀だが、「竹刀でボコボコにシナイデ」なんちゃって。
コロナでも「感染防止か経済」などと「二者択一」でノタマウ方がいるが、現実的には、この「矛盾」していていることを調整しながら「同時」にやっていくしかない。
医療を支えるのも経済で、経済力があって十分な医療活動もできる。
日本に経済力、金があるから新薬ワクチンが買えて国民の命を救える。
既に六千万人分、新薬を予約したきくが、世界中で新薬の取り合いになったら、最後にものをいうのは金だ。
古代より「ノアの箱船」に乗れるのは人類全員ではない。
日本の人口は約一億人で、順次、接種できるとの話だが、他国がより高い購入価格を提示すれば、マスクの時のように日本にくる前に横取りされるかもしれない。
新ワクチンの国内接種にも優先順位があるのか。
以前、「上級国民」なんて言葉が流行したが、私は「上級」ではないし、かと言って「下級」でもないと思う。
自分としては「中級」だと思ってはいるが、これって、相対的なもので「上級」から見れば「中級」も下級だし、「下級」から見れば「中級」も上級だ。つまり、全ては「相対的」に分類される。
「相対性理論」はアインシュタインだが、志村けんは天国でアインシュタインに会い、「アイーン」と挨拶をしたのか。
ツーカ、天国でもアインシュタインは上級な方なので、普通の人は簡単には彼に「会いーん」な。
志村けんは「変なオジサン」だが、元祖「変なオジサン」は、舌を出しておどけるアインシュタインだ。
ローリングストーンズにも舌を出したマークがあるが、日本で「あっかんべー」と舌を出すことは相手をからかうのに使われる。
チベットでは挨拶に舌を出すらしいが、チベットだけに舌を、ちべっと出すのか。
チベットに住む爺さんはチベット爺さんだが、ゼペット爺さんは、ピノキオのお爺さんだ。
操り人形だったピノキオはいろいろな冒険をして、最後は人間になる。
人間になったピノキオは、その後、人間社会で、いろいろと社会にもまれ、いつの間にか組織の「操り人形」になってしまった。
なんて話を勝手に付け加えたら、ブラックジョークすぎるな。
人は自分の意志で人生を生きていると思っても、結局は操り人形のように、「情報という何か見えないもの」に操られて生かされているのかもしれない。
ピノキオは児童文学だが、物語は人生の悲哀を感じる。
「星に願いを」を聞くと胸にジーンときて、人生は「謙虚」に生きなければならないと反省する。
ケンキョだが、ミニスカポリスに検挙されると、捕まえられて腕を組んで連行してくれるのか。
ミニスカポリスが腕を組んでくれるならケンキョされてもイイナな。
検挙後の取り調べはスケバン刑事にお願いしたいが、自白すればカツ丼頼んでくれるのか。
スケバン刑事の武器はヨーヨーだが、病院を退院して自宅で療養しな
がらヨーヨーすると自宅ヨーヨーになるな。
65歳以上の高齢者の「ゴーツー東京」は自粛で、Gさんはショックだが、「自粛」なので上京しても、ミニスカポリスやスケバン刑事に検挙逮捕される事は無い。
何事も「自粛」できないヒンシュク爺さんの私だが、爺さんが自粛すると「ジーシュク」になる。
(2020.12.5)アンブレラあつし |