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その137

ダジャレは言ってみる事に意義がある

 三月中旬、東京で桜の開花宣言された日に、上京して中学校のクラス会に参加した。

 当初はいつものように十名以上の参加者が見込まれたが、コロナの影響もあり七名の参加になった。

 当日は季節外れの雪が東京に降り「なごり雪」だった。

 この歳になってのクラス会って「青春の名残」を惜しむ老人会なのだな。

 幹事の強い意志で、「雨天決行、コロナ決行、何でも結構」の旧友の集まりだったが、顔を合わせれば、あの時代にタイムスリップする。

 今の所、参加者の発熱情報はないのでクラス会のクラスターはないと思う。

「♪なごり雪も降るときを知り、ふざけ過ぎた季節のあとで・・・」だが、今も「ふざけ過ぎた季節」が継続中の私だ。

「♪君の唇が、さようならと動く事が、こわくて下を見ていた」だが、読唇術を学ばなくても「さよなら」くらいは読めるな。

 ドクシン術だが、結婚できない人は独身術にかかってしまって、なかなか解けないのか。

 警察官が殉死すると「2階級特進」だが、二回離婚してバツ二になると「2回級独身」だな。

「独身主義なんて、もてない人の言い訳じゃん」なんて言ったら、パワハラ、セクハラ、モラハラで炎上する時代なので言葉には注意だ。

「ハラ」はハラスメントのことだが、「忠臣蔵」って、吉良上野介のパワハラにムカついた家臣達が、主君の恨みをハラスめんとしたのか。

 いつものように話が脱線するが、赤穂浪士の墓がある泉岳寺の近くに、新しく「高輪ゲートウェイ」という新駅ができたらしい。

 何でも「横文字」ばやりで、今後とも増える「横文字」の中で、日本人は「暮らすたー」するしかないのか。

 クラスターは和訳すると集団感染だが、日本人は横文字にすぐ集団脳感染して、みんなが使い始める。

 初めは横文字に違和感があっても、だんだん慣れてくるのは免疫力がついてくるからか。

 パンデミックなんてアカデミックな感じでカッコいいが、地球上の人類に早く新型コロナの免疫力がつけばいい。

「なごり雪」の「♪時が行けば、幼い君も大人になると気づかないまま」だが、君もボクも大人になり過ぎて、前期高齢者になってしまった。

 77歳は喜寿、88歳は米寿だが、66歳には「緑寿」という「お祝い」があるらしい。

 日本百貨店協会が2002年に提唱し作ったらしいが普及はしてない。

「お祝い」ごとを多くして金を使わせようという魂胆がみえる。

 77や88に比べるとロクロクで、フロクみたいなものだが、定年延長で66歳あたりが、人生の節目にもなりつつある。

「緑寿」が定着するかは微妙だが「みどりの日」とか「緑の党」、「緑のおばさん」「緑のたぬき」など、なにかと緑は使われ「よりどりみどり」だ。

「緑のおばさん」は、いつの間にか「学童擁護員」という言葉に置き換えたらしいが、国民的合意もなく言葉の置き換えはやめてほしい。

「緑のおばさんの昼食は緑のたぬき」なんていう緑のたぬきオヤジギャグが使えなくなるではないか。

 オリンピックは延期になったが、昔、小学生の頃に「近代オリンピックの父」クーベルタン男爵の話を読んだ。

「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」と彼は言ったらしいが、国内予選で勝てなければオリンピックに参加できないなと、子ども心に思ったな。

 近代オリンピック発足当時はアマチュア精神を唱えたらしいが、今はすっかりプロ化、商業化している。

 アスリートとかオリンピアンなどいうが芸能人と同じで、スポーツタレントと言った方がいい。

 クーベルタン男爵が空腹になって「男爵、芋を食うーベルタン」なんちゃって。

「ダジャレは言ってみる事に意義がある」

 (2020.3.28)アンブレラあつし

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