前号の「ベージュの伝言」の、ベージュだが色の名にベージュ色がある。
ベージュは「肌色」にも似た色だが、国際的には「肌色」は「十人十色」だ。
「顔色を伺う」とか「顔色を気にする」なんて日本語を英語に直訳したら、場合によっては差別的表現で誤解をまねくな。
昭和の時代に肌色や駱駝色のシャツを「ババシャツ」なんて言ったが、今でも通用するのか。
「ジジシャツ」なんて言葉は聞かない。
昔、若い頃、襟元や袖口からラクダ色の下着が見える男性を見るとウンザリしたものだが、気がつけば自分も時々そうなっている。
高齢化による身なりの恒例化だが、さらに進化すると「社会の窓」も閉め忘れる。
年をとるということは「おおらか」になることなのか。
「米寿」から「ババシャツ」や「ももひき」を連想してしまう昭和Gさんの私だが、「ラクダ色の下着シャツは首元にボタンがあり着替えがラクダ」なんて「動物園にイルカはいるか」と同じくらいクダラないラクダの駄洒落だな。
今は下着をタイツとかインナーとかの言葉に言い換えてしまうが、若い女性の前で「ボク、モモヒキはいてます」なんて言ったら「ドンビキ」される時代だ。
ステテコも今や昭和の言葉で時代とともに「捨ててこ」されてしまった。
ズボンもパンツとか言い換えるが、女性店員さんに「パンツ、どこですか」なんて聞くのも、昭和Gさんには抵抗がある。
ステテコに毛糸の腹巻き、胸開シャツ、これらはオシャレ三点セットで、カンカン帽を被ればパーフェクトのコーデネイトだ。
Gさんファッションは「こーでねいと」いけないが最近は見ない。
ツーカ、ステテコは下着なので場所によっては通報されヤバイことになる。
ファッションは「流行」だが「風評」とは違うのか。
ファッション評論家は「今年の春の風評はコレです」なんては言わないが似ているな。
始めは少数者でも、だんだんと皆が着始め、やがて多数になる。
そして流行の中にいること、多数の中にいることで安心し満足する。
トイレットペーパーの購入列に並ぶのと同じような同調満足心理だ。
所詮、人は時代に流されて生きている。
私も風に吹かれて生きている。
マスクを安く仕入れて高く売るとヒンシュクだが、株の売買は基本、転売利益だ。
株が売れずに持ち続けることを「塩漬け」と言うらしいが「備蓄」とは言わないか。
「備蓄」と「買い占め」は違うが、似ているな。
新型コロナ騒動で社会のイロイロな姿が見えてくる。
今回、個人的に一ついいと思った事は、国の東日本大震災の追悼記念式典が中止になったことだ。
毎年同じように実施していたが一度中断したほうがいい。
イベントなどの集団に参加しないで、1人1人が個に回想すればいい。
悲しみは1人で感じることが大事だ。
話は変わるが、上野公園の私の活動が雑誌記事になったらしい。
「ビッグイッシュー」という雑誌の3月号に掲載されたようだ。
その雑誌の編集方針が「反原発、フクシマ同情物語」ぽいので、インタビューの時に、記者には、そういう取り扱いにはしないで欲しいしいと念をおした。
テレビや新聞もだが、インタビューといいながら記者の「ストーリー」に組み込まれてしまう事はよくある。
「ストーリー」に合わせて、話の内容が「切り貼り作文」されてしまう例だ。
この雑誌、ホームレス支援の雑誌らしく路上で認定されたホームレスの方が、基本的に販売している。
購入しようと思っても、販売員を探すのが大変だ。
ツーカ、上野公園で販売して欲しい。
上野公園では支援者団体が公園の隅で炊き出しとか定期的にやっているのだが、ネット情報によると上野公園近くに販売員はいない。
各支援団体も派閥があり、それぞれのシマがあるらしい。
NPO団体や各種団体間で微妙に棲み分けしていてヤクザの団体と似ているが、棲み分けしないと「慈善活動」の主導権争いで「抗争」になり混乱するのか。
この雑誌、硬派系なので、私に興味を持った読者がネットリサーチして、このオヤジ駄洒落ブログにたどり着くと、そのギャップにきっと驚くな。
期待を裏切るかもしれないが、今はやりの「想定外」のひとつだと理解してほしい。
最近の自粛ムードで、上野公園も人が少ないが、「無観客」でも地面に水を撒いてアート活動をしているボクです。
(2020.3.14)アンブレラあつし |