前号でスーパーで閉店間際の見切り品を安く買ってきて、食卓に並べるなどとセコイを書いた。
しかし、見方を変えれば食品ロスを少なくする事に貢献しているともいえる。
食べ物も売れ残れば、残飯でゴミになり処分費用もかかる。
最近聞かないが、昔「残飯整理」という言葉があって、食べ物の残りを無駄なく食べたものだが、今は残飯は生ゴミで捨てる時代になっている。
学校給食でも担任の先生が、児童に残さず食べなさいなどと指導すると「教師のイジメだ」などとオッシャル方もいるので難しい時代だ。
中学校の担任をしていたころ学校給食で納豆がよく出るのだが、女子生徒は「お年頃」なので納豆を食べて口が納豆くさくなるのを嫌い食べない。
女子のまねをして納豆を残す、おバカなお坊ちゃまもいて、大量に残るが、給食室に戻すと給食のオバサンに担任が怒られるので、担任が家に持ち帰ることになる。
結果、我が家の家計が助かったのだが、福島の納豆消費量が全国一なのは納豆業界と学校給食会の癒着のせいではないのか。
納豆の粘り気を「癒着」とは言わないが、納豆だけにナットクのいく説明が必要だな。
…などと書いてはみたが、学校給食には基本的に食料調整機能がある。
古米が大量に増えて米飯給食が始まったし、牛乳給食は日本の酪農農家の安定営農を助けている。
事前に児童生徒数で消費量を把握できるので、計画生産しやすいのだ。
ツーカ、戦後の学校給食ってアメリカの残飯整理の面もあったと聞いたことがある。
でも私は人道支援だと信じたい。冷めた脱脂粉乳ミルクだって私には旨かった。
アンパンマンは正義の味方だが、私は残飯整理のザンパンマンか。
ザンパンマンは環境にやさしい正義のミカタだが、語感も悪いし尊敬はされないな。
「残り物には福がある」なんて言葉もあるが、「独り者には福がある」のか。
オシャレな服に金を使い、多くのオシャレ着を持って独身生活を謳歌している人は「独り者には服がある」なんちゃって。
1年の終わりは師走だが、みんながシアワスでもない。
「♪シアワスは歩いてこない、だから走っていくんだね」なんて歌はないが、来年はいよいよオリンピックで「光陰矢のごとし」だ。
月日がどんどん過ぎ去るが、この調子だと残りの人生もアットいう間だな。
だからと言って特に、何かをやろうとも思わず、日々惰性で生きている私はダセイー人生なのか。
年をとるということは、年上の人が減って年下の人が増えることだ。
人生の先輩としてアドバイスしてくれる人も少なくなる。
「老いては子に従え」とあるが、実際には年下の助言には耳を傾けないことが多い。
注意して自分を律しないと周りに迷惑をかける。
ツーカ、周りに迷惑をかけている自分にも気づかない事も多い。
過日、上野のコンビニに並んでいて「フォーク並び」を理解せず、「チョトマテ、クダサイ、フォク、ナラビデス」と外国人の店員に注意された。
「チョトマテ、クダサイ」って、どっかで聞いた台詞と思いつつも思い出せない。
チョトマテくれない新幹線下りの自由席に飛び乗り思い出す。
「♪ちょとまって、くださいー」はセクシーな女性グループ、ゴールデンハーフの歌だったが、人は「♪ちょとまって、くれないー」時の流れの中に人生を生きている。
ゴールデンハーフだが、漢字表記すると半外人歌舞娘四人組か。三人組だったかもしれない。
「♪若い娘が、ウッフーン」なんて歌もあったな。
「♪黄色いサクランボー」だが、私の頭は時々「♪記憶が錯乱ボー」だ。
相撲の行司が「待った、無し」と言っているのに、「マッタ」する力士はコマッタ力士だな。
「残り人生、まった無し」なんて言う方も居ますが、マッタリと生きているボクです。
(2019.12.14)アンブレラあつし |