著名な女流画家は何故少ないのか(現代はともかく20世紀前半以前ですが)そんなことを考えていたら、吉村昭のエッセイ「白い遠景」(講談社文庫)の中の「男体・女体」の項に「・・・古今東西、女性の足をふみ入れぬ職業的領域に数学者、哲学者、作曲家等がある・・・」とあり、答えが得られるかと期待しましたが、続いて「・・・それらの対象は、頭でっかちの男の所産で、論理によって構築されたものである。音楽なども壮大な建築物と似て、旋律と旋律が積み重ねられ、それらをかたく結びつけるのは論理的な意識である・・・」とありました。
「白い遠景」
さらには「・・・小説家の領域では、男女流作家ともに生息している・・・」と。
一応理科系である私は数学者と言えば、高木貞治、岡潔、矢野健太郎、森毅くらいはすぐに思い浮かびます。
哲学者は西田幾多郎くらいですが。確かに女性は思い出せません。
西田幾多郎
クラシックの作曲家も男性しか思い浮かびません。
数学や哲学が論理によって構築されるのは分かりますが、作曲や絵画もそうかと言われれば、ちょっと腑に落ちません。
絵を画くのが好きな人、そうそうアンブレラあつしさんに今度会ったら訊いてみなくては。
「現代アートをたのしむ」
ところで原田マハ&高橋瑞木著「現代アートをたのしむ」(祥伝社新書)の「ふたりが選ぶ、いま知っておきたいアーティスト」の項には21人が登場します(6人組Chim↑Pomは6人でカウント)。そのうち女性は3人です。
この本をもって全てを語ることはできませんが、著名な女流画家(アーティスト)は現在でも少ないと言えるのでしょうか。
ツーさん【2023.3.13掲載】
葉羽 アンブレラあつしは何か答えを持っているだろうか。きっと超絶なダジャレで返されるのではなかろうか(笑)