江戸時代が背景の小説には関所が結構出てきますが、読み終えればすぐに忘れてしまい、名前を挙げられるのは「箱根関(はこねのせき)」「白河の関」「勿来(なこそ)の関」くらいです。
勿来の関は福島県出身ゆえに知っているということです。
勿来の関
一番有名なのは箱根関で、次いで有名なのは白河の関ではないでしょうか。九州や四国の方でも知っていると思われます。
先月の夏の甲子園(高校野球選手権)で仙台育英(宮城)が優勝し「東北勢悲願の「白河の関」超え」とニュースや新聞の見出しにあったように、これまで春夏通して東北勢が甲子園で優勝したことはなく、その度に「白河の関を超えず」と書かれたものです。
白河の関越えに歓喜!
冬は厳しく、その時期練習量が少ない東北・北海道勢は不利と言われていました。
それが、私が中学3年だった1969(昭和44)年には太田幸司投手を擁する三沢高校(青森)が決勝に進みました。
1969年8月の筆者小史メモから(筆者提供)
決勝戦は松山商業(愛媛)との、歴史に残る延長18回0-0の引分け。テレビに釘付けになって観ていた記憶があります。残念ながら決勝戦再試合で敗れました。
三沢高校 vs 松山商業の名勝負
今では考えられませんが、太田投手は準々決勝から4日間4試合45イニングを一人で投げたのですね。
高校2年だった翌々年の1971年には「小さな大投手」と言われた田村隆寿投手を擁する磐城高校(福島)が決勝に進みましたが、0₋1で惜しくも敗れました。
"小さな大投手"田村隆寿投手
福島県勢の決勝進出はこの時だけです。両校ともまさに、あと一歩届かずで、東北勢が優勝する日もそう遠くないと感じさせました。
でも、それからが長かったのですね。長くなりましたので、つづきは次回に。
ツーさん【2022.9.5掲載】
葉羽 田村投手が投げた決勝戦は、福島県中で盛り上がったね~。16歳だから高1の時かな。もう一度、あの試合を見てみたいもんだ。