私が物心ついたのは60数年前ですが、形あるもので、多くの神社仏閣はその頃の姿で存在していますが(例えば写真1&2)、お店は同じ場所にあったとしても店構えは新しくなっているのが普通です。
写真1:61年前に南陽市の熊野大社前にて、筆者(右:6歳)と弟(左:4歳)
(筆者提供)
それが何と、60数年前の店構えそのままのお店があったのです。
先月福島市に墓参りで帰った折に、母の実家のある山形県南陽市に足を延ばしましたが、その近所にある「佐野書店」です。ディスプレイの雰囲気を含めて、あの頃の記憶のままでした。
小学校の頃は夏、冬、春休みの大半を母の実家で過ごしましたが(雑感 98)、漫画本を貸本屋(いまで言うレンタルショップのはしりでしょうか)で借りたりもしましたが、少年月刊誌(少年週刊誌、少年マガジンや少年サンデーが発刊される前に少年月刊誌の時代がありました)を買ってもらったりしたのは佐野書店でした。
写真2:現在の熊野大社(先月16日筆者撮影)
それらは「少年」「少年画報」「ぼくら」「冒険王」で、「少年」には鉄腕アトムや鉄人28号が連載されていました。
今思えば、超豪華執筆陣ですね。漫画を読むのも勿論楽しみでしたが、付録も楽しみ満載でした。
日光写真、幻灯機、輪ゴムを飛ばすピストル等々、スマホで写真も動画も撮れてゲームもできる今日(こんにち)、本当に子供だましみたいなものでしたが、あの頃はワクワクしながら遊んだものです。ですので、佐野書店は子供心に、夢多きお店でした。
南陽市の佐野書店(先月16日筆者撮影)
母の実家にあの頃いた伯父も伯母も3人の従妹も既に他界しましたが、店主は替わっているにしても佐野書店は昔の姿のままに健在でした。
思わず心の中で「これからもお元気で」と呟きつつ、60数年間ずっと変わらないことに安らかさを感じました。
葉羽 見出し写真の『福島縣護國神社』は明治12年創建で、現在の社殿は昭和12年に建て替えられたものということだ。実は「ふくしま近代医学150年~黎明期の群像」に掲載検討していて没になった原稿があって、福島県の認定歯科医師第一号は明治12年の最初の社殿を造った宮大工さんだった。面白い話でしょ・・本にする時復活したいな(笑)