重松清の「かあちゃん」は何組かの母と子が登場する物語ですが、読んでいて、自分の母はどうだったかと思いを巡らせたりもしました。
ただ、私は母をかあちゃんと呼ぶことはなく、幼少の頃はママ、小学校くらいからはお母さんと読んでいました。
でも思い出しました、私がかあちゃんと呼んでいた人がいたことを。
「かあちゃん」重松清:著
私は母の実家の山形県南陽市宮内で生まれましたが(雑感 96)、実家には母の長兄(私の伯父)一家が住んでいました。
母は3兄弟&3姉妹の末っ子で、長兄とは20歳近く離れていました(ちなみに長姉とは二回り違い、長姉の長男はうちの母の3歳下でしたが、母を叔母さんと呼んでいました)。
ですので、伯父から見れば私は孫みたいなもの。私をあやすように何度も「マー、マー(私の名前のまさひろの“ま”)と呼びかけたのでしょうね。物心ついた時にはその伯父を「マー」と呼んでいました。伯父は私を「マー坊」と呼ぶようになっていました。
南陽市宮内の街並み
伯父夫妻には3人の子供がいましたが、伯母さんのことをかあちゃんと呼んでいたのでしょうね。
で、私も物心ついた時にはその伯母を「かあちゃん」と呼んでいました。
母の実家ですのでしばしば帰っていたと思いますが、2歳9ヶ月の時に1人で泊まりに行きました。
その頃は多分山形県米沢市に住んでいて、伯父が来て、帰る時に一緒に付いて行ったと思われます。
1人で伯父宅に行った時の写真:左から伯父(マー)、筆者、長女、
伯母(かあちゃん)、長男(次男撮影と思われる:筆者提供)
もうすぐ3歳になる娘の次男の娘への甘えん坊ぶり見ていると、結構しっかりした子だったのかと我ながら、今さらながら感心してしまいます。
「かあちゃん」と一緒に布団に入り、遠くに牛の鳴き声が聞こえたような・・・淡い淡い記憶が残っています。
ツーさん【2021.4.12掲載】
葉羽 僕は婆ちゃん子で婆ちゃんが母を「かあちゃん」と呼んでたから、僕もそう呼んでたな。でも学校に行くと「うちのかあちゃん」とか言うのが恥ずかしくって、無理やりオフクロとか言ってたかも・・見栄っ張りだったんだな(笑)