3歳の頃から高校卒業まで福島市宮下町に住んでいましたが、昭和37、38年の2年間は矢剣町に住んでいました。小学2、3年の時です。
1月上旬に墓参りで帰りました折に、昭和39年に宮下町に家を新築し引っ越して以来56年ぶりですが、矢剣町を訪れてみました。
岳陽中の近くだった記憶があり、岳陽中を目指して行くと、運動会の日に鍋を持たされて入った通用門がありました(参照:雑感109 鍋)。
岳陽中学校の通用門
その近くだったことは間違いないのですが、半世紀以上の時の流れゆえ、「ここだ!」と特定はできませんでした。
でもその辺だったことは間違いなく、あの頃の思い出が蘇りました。
日曜の夕方に私が近所の酒屋にビール、サイダー、オレンジジュースを1本ずつ買いに行き、子供たちはジュースをサイダーで割って、「そっちの方が多い」「いや、そっちだ」と兄弟で言い争ったこと。
鉄腕アトムシール
「鉄腕アトム」を見てはそのシールが入っている明治マーブルチョコレートをよくおやつにしたこと、「エイトマン」を見てはそのシールを集めるために丸美屋のふりかけをよくご飯にかけたこと。
歌謡曲が好きだった私は、日曜の昼の「ロッテ 歌のアルバム」、夜の「シャボン玉ホリデー」は欠かさず見ていたこと。
シャボン玉ホリデー
今でいう3Kに両親と子供3人の5人で住んでいましたが、狭いながらも楽しい我が家だった気がします。
矢剣町に住んでいた頃、あの頃が私にとっての「三丁目の夕日」だったのかと、そんな思いに駆られました。
ツーさん【2020.3.30掲載】
葉羽 僕も同じ思い出が。やはり小学校まで暮らしていた郷野目かな・・今ではすっかり面影も無くなっちゃたし、今行くと思いのほか狭い町だったりしてね(笑)