今年1年が皆様にとって幸多き1年であることを祈っております。
齢重ねて66回目の年末年始、思い出に残るような年末年始はあったかなとざっと記憶を辿ってみますと・・
平成14年の初詣の折りには、生まれて初めてチャリンと音のしないお賽銭をあげました。隣にいたカミさんが驚いた顔をしていましたが、前年秋に部下の研究所員が相次いで2人入院したこともあり、厄払い的な意味がありました。
←電子賽銭(違っ!)
平成20年亥年(いのしし)の工場の年頭挨拶では「今年は亥年、会社業績もいけいけどんどんとなるよう、初詣でのお賽銭は、Go! Go! Go! で555円でした」なんて話をしました。
辛かった思い出は昭和62年で、大晦日に父から母危篤の知らせがあり、翌元旦に福島に帰り、2日に亡くなったことです。
母が亡くなったことよりも、毎日毎日中村雅俊の「ふれあい:・・・人は皆、一人では生きてゆけないものだから・・・」を聴いている父の姿を見ているのが辛かったことを覚えています。
「ふれあい」中村雅俊
66回でそのくらいということは、例年、年越しそばを食べながら紅白を見て年が暮れ、元旦はお雑煮を食べ年賀状に目を通し年が明けたのでしょう。
何事もなく平凡に年が暮れ、そして平凡に年が明ける、それはそれで、いや、そういうことが幸せなのでしょうね。
お年玉
今は、お年玉をもらった5歳の孫(娘の長男)が少しはにかみながら「じいじ、ありがとう」と言ってくれる、それだけで十分です。
ツーさん【2020.1.6掲載】
葉羽 今年はケイコと二人でお稲荷さんに元朝参りに行ったよ。とてつもなく混んでいて驚いたね。福島の人はみんな信心深いからかな。