中学2年の冬、福島市の泉辺りにあったスケート場だったと思いますが、「オラは死んじまっただ~、・・・天国に行っただ♪」という歌が流れ、一度聴いたら覚えてしまうような単調なメロディながら、多感な少年の胸に強烈なインパクトを残しました。
「帰って来たヨッパライ」
それからザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル:加藤和彦、北山修、端田宣彦)にはまり、「ヨッパライ」はともかく「悲しくてやりきれない」や「青年は荒野をめざす」は今でも名曲と思っています。
フォークル解散後も、端田宣彦が立ち上げたシューベルツや加藤和彦のソロはよく聴き、北山修の「戦争を知らない子供たち」(ブロンズ社)も読みました。
昭和44年7月に発行された「新譜ジャーナル フォークルのすべて」は未だに持っています。(映像参照)↓
「新譜ジャーナル フォークルのすべて」
8月に「杉田二郎 きたやまおさむ(北山修)を歌う」というコンサートに行きました(雑感106 迷ったら行く)。
北山修作詞の歌を杉田二郎(シューベルツ、ジローズ、次いでソロで活動)とゲストの白井貴子が歌いますが、各々の歌に先立ち北山修が作詞の経緯を語り、それはそれで面白い企画でした。
現在の医師北山修
アンコールで「風」、そして「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌い、これで終わりかと思ったら北山修が「では最後に」と。もう歌う曲はないのではと思いましたが、何と最後に「帰って来たヨッパライ」。
歌は杉田二郎でセリフは元歌通りに北山修です。
少年時代が蘇ると共に、いい声しいていると思っている杉田二郎が歌うと、「帰って来たヨッパライ」が格調高い歌に感じられ、ちょっとした望外の喜びでした。
ツーさん【2019.11.11掲載】
葉羽 いやぁ、いろいろ思い出してきた。帰って来たヨッパライの「天国良いトコ一度はおいで」のパーツをパクッて僕が「ロミオとジュリエット」という曲を作ったんだっけ。ジュリエットを追いかけて死んだロミオがあの世でジュリエットと一緒になれると思ったら『♪君は~天国ぅ~そーらーの上~ 僕はジゴクのカーマーの底~♪』って確かこんな歌詞だった。中学のときギロバチの目を盗んで音楽室を占拠して、勝手にコンサート開いて絞られたっけなぁ(笑)たしか音楽室が、下級生も入れて立ち見の満室になったと思う。あん時はツーさんとじゃなくキヨタカとムラジュン、テツローだったか。もしかするとカリスマ彰の作曲「ピアノ協奏曲原爆ミサ」を二人で弾いたのもそん時だったかも。(彰は尻で弾いた:大笑い)