先々月65歳を迎え、晴れて、いえいえ遂に高齢者の仲間入りということで、随分と面倒は看たが、ここまで生きてこられたのも君たちのお陰かと、子供と孫をちょっとリッチなレストランに招待して「お誕生日ありがとう会」を開きました。
⇨(参照:◆雑感71 お誕生日。カミさんは体調不良で残念ながら欠席。温泉1泊も考えましたが、さすがに皆の予定は合いませんでした。)
「雑感71 お誕生日」
その席で息子と娘に、私の履歴書を渡しました。
これから書き加えることは令和何年何月何日逝去くらいしかないだろう、書くなら今しかない、今が旬かと。
公私の公の部分はいわゆる履歴書で、〇〇大学入学とか△△に入社とか◇◇に勤務とか。
公私の私の部分は結婚とか、子供あるいは孫の誕生とか、どこそこに引っ越したとか。
誕生日
色々調べたりしなくてはならず、2、3日は掛かるかと思っていましたが、半日足らずで終わってしまいました。
過去の記録をきちんと整理してあるせいか、あるいは単にそんな人生ゆえなのでしょうか。
父親の歩んだ人生なんて、子供たちにとっては、おぼろげにしか分かっていないでしょうから、自分のためにまとめておくというよりは子供たちのためにまとめたという方が当たっている気がします。
父の人生…
子供たちの半生も書いてあるわけですし。
ツーさん【2019.9.2掲載】
葉羽 うちの親父なんか終わりの方がグダグダだったので、やはり自分の人生はツーさんのように、しっかりしているうちに記録しておいた方がいいね。あ、だいじょぶだよ「岸波通信」があるから(笑)