中学の時はまだ9人制でしたが、中学3年間はバレーボール部に所属していました。
私は前衛のライトのアタッカーでしたが、中体連は2回戦で敗れました。惜敗だったように記憶しています。
高校では2年の秋までバレーボール部(6人制)に所属していました。
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下校時の一コマ/ツーさん&葉羽
(筆者提供) |
大学では体育の授業でちょっとやったくらいですが、バレーボールは私の青春で大事な位置を占めています。
会社に入って2年目に研究所転勤となりましたが、研究所にはバレーボール部があり、早速入部しました。
きちんと毎週というほどではありませんが、週に1回近所の小学校の体育館で練習し、年に2回(春と秋)は地域のバレーボール大会に出場していました。
大会は2週に分け1日2~3試合ですが、アタッカーだった私はいつも「自分が決めてやる」という思いで試合に臨んでいました。
それが30歳も近づいてきた頃でしょうか、それまでは自分にトスを上げてくれと思っていたのが、ちょっとラリーが続くと、もう自分にはトスを上げてくれるな、向こうに上げてくれと思うようになりました。
その時に思いました、スポーツ選手の潮時とはこういうものかと。
その後はインディアカ(バトミントンのシャトルの大きめなものを使って、基本バレーボールのルールでプレーする)に興じました。
ツーさん【2018.11.19掲載】
葉羽 うわぁ、懐かしい写真が出てきたね~!この頃の僕は痩せていて附属中学校の男ツイッギーって呼ばれてました(笑)