平成14年の父逝去の時でしたが、棺に入れる故人ゆかりのものは何にしようかと押入れを探していましたら、1冊のアルバムがありました。
その16年前に亡くなった母の写真の他に、見知らぬ女性の写真も何枚かありました。すぐに母の女学生時代の級友と分かりましたが、そう分かる前の数秒の間に思いました。
「親父はこんなに女性と付き合っていたのか。自分はまだまだ足りないな」と。
還暦を直前に控えた頃ですが、ある朝トイレに立ち、歯を磨いていると、何かいつもと違うことに気付きました。
左右の頬を叩いてみて、左耳が聞こえていないことが分かりました(病院に行って分かりましたが突発性難聴でした)。
顔を洗っている間に思ったことは、(昨夜は管理職仲間4人と飲んでいたが)沖縄料理の最後に食べたブタの耳の唐揚げの祟りか、飲んだことがないわけではないが泡盛をロックで3、4杯飲んだのは初めてで、そのせいか、二次会でへたなカラオケを随分聞かされたから、そのせいか。
人間は一瞬のうちにも色々思うようですが、死の間際にも人生の様々な場面が走馬燈のように駆け巡るのでしょうか。
でも、そのことに自分で感心することも、誰かに伝えることもできないのですね。
ツーさん【2018.7.2掲載】
葉羽 瞬間思う… この言葉で思い出すのは、九死に一生を得た事故の時かな。土湯道路の氷結した橋の上でスリップして、両側のガードレールに三回バウンドした。奇跡的に怪我もなく、車の方もバンバーの傷だけで済んだ。あの時は、絶対に谷底へ落ちると思ったんだけどな。今でも夢に見ることがあるよ(恐)