工学部なら理科Ⅰ類なのですが、今はほとんど同じようですが当時は理科Ⅱ類(主に薬学部、農学部に進学)の偏差値の方が幾分低く、安直ではありますが理Ⅱを受けました。
その時点で何学部何学科に行きたいというビジョンはなく、2年前期終了時に進学振分け(定員20人の学科に30人が希望すれば、教養の時の試験点数で上位20人が進学、といった具合)まで決めればよいかと。
東大の進学振り分け
進学振分け時に薬学部も農学部もどの学科でも進学できるくらいの点数はありましたが、父が医者で息子は薬学部も変だし、農学部農芸化学科は食いっぱぐれがなさそうだし、農芸化学は15講座と多岐に亘っているので、また1年考えればよいかと。
何でも先送り、言ってみれば歌の文句にありました「あてなどないけど、どうにかなるさ」でしょうか。
「どうにかなるさ」かまやつひろし
明確なビジョンを持ち、それに向かって計画的に突き進んだ青山君とは、全く逆の生き方だったようです。だからといって悔いが残ることは全くありません。
大学卒業後は同級生の結婚式で会った程度でしたが、年賀状や異動挨拶は欠かさず交わしていました。
中学の還暦同窓会(2014年)では喫煙室でバッタリ会い、30数年ぶりでしたがお互いに「元気か?」などと言葉を交わし旧交を温めました。
会場/ホテル辰巳屋のラウンジ
それが後還暦同窓会(2019年)直前に息子さんから、彼の逝去の報せが。
そこには故人より言付かったと「残念ながら平均寿命までは、ずいぶん時間が不足してしまいましたが、充実した人生を過ごすことができました・・・」。
年賀状を交わしている人が亡くなれば家族からの喪中挨拶が来ますが、こういう形は初めてでした。
通常の喪中ハガキ
死に際にあっても、人生のたたみ方に対して彼なりのビジョンがあったのですね。頭が下がります。
ツーさん【2025.10.13掲載】
葉羽 2019年だと、僕の場合「賀状」はとっくに廃止して、「通信」の『新春のご挨拶』に代えていたから、喪中ハガキが来なかったんだな。ようやく合点がいったよ。