岸波通信その240&241「青山君の思い出」を読んで、私もちょっと思うところがあり、一筆。ネタのパクリですが、ご了承のほどを。
青山君とは同じ中学・高校ながらクラスが一緒のことはなく、お互いに顔と名前は知っている程度でした。
大学が同じでしたので、福島高校コンパなどで飲んだこと等は自分小史に記してありますが、もう記憶には残っていません。
福島高校同窓会(R5年度)
ただ一つだけ今でもはっきり覚えていることがあります。確か大学1年の時、50年以上前ですが、教室で授業を受けていて終わりが近づいてきましたら、廊下がざわざわしているのです。
授業が終わると次の授業の学生さん十数人が入ってきて、その中に青山君が。彼に「何を急いでいるの?」と訊くと、「早く来ないと、いい席が取れないんだ」と。
そんな発想は全くなかった私は、目が点になっていたのでは。
東大の階段教室
岸波通信に、彼は「建設省→高級官僚」を目指していたことが書かれていますが、私が垣間見たのはその目標に邁進している彼の姿だったのですね。
高校時代には既に「東大工学部→建設省→高級官僚」という人生の設計図を描いていたのでしょうね。
私はいうと、実家が医院で長男でしたので親は当然医学部を薦めますが、医学部には行きたくありませんでした。
現在の国土交通省
親への反発も多少あり、大学はできるだけ福島から離れたところ、当時「なのにあなたは京都へゆくの」なんて歌が流行っていて京都への憧れもあり、京大工学部を受験することにしました。
京大の願書を取寄せていましたが、願書出願まで親の説得は続き、最後に父が「医学部に行かないなら東大を受けないか」と言われ、それは聞き入れることにしました。以下は次回に。
ツーさん【2025.10.6掲載】
葉羽 青山君は技術系官僚で次官になれる可能性があるのは建設省だけだと言って、そこを目指していた。どうせ途中で辞めて家業を継がなくちゃならないと考えていた僕とは勉学への「姿勢」が違っていた。凄い奴だと思ったよ。