帚木蓬生の「蛍の航跡」(新潮文庫)に次のような件(くだり)がありました。
『・・・それとなく指摘した私に、M少佐は目をむいた。「あんたも医者のはしくれだから分かろうが・・・」 私はM少佐の剣幕よりも、〈医者のはしくれ〉という言い方が胸に刺さった。自分で口にしたことはあったが、他人から言われたことはなかった・・・』。
「蛍の航跡」初版本+1
で、思い出しました。
平成4(1992)年7月に研究所から本社に転勤しましたが、その年の秋のこと。採用面接に来た理系学生2名の、夜の会食の相手を依頼されました。技術系中堅社員が手分けして対応していたのでしょうね。
夜の会食
当日の夕方に人事部に行きますと、人事担当者は研究所で同じ研究室だったこともある後輩でしたが、私を学生に紹介する最後に笑いながら「一応ドクターです」と。
学士取得の指導教官で恩師たる森謙治先生にでも言われれば納得がいきますが、学位を持っていない後輩に言われる覚えはない、といった胸中でした。
私が学位を取った分野では、博士論文提出には英文論文を3報投稿受理されていることが必須でしたが、私は学位取得後も何報か英文論文を書きました。

英文総説が掲載された本、及び総説1頁目(筆者提供)
また会社勤務の技術者としては希有なことですが、総説を日本語のみならず英語でも書いていました。
また有機合成化学協会の編集委員も2年間勤めました。〈それなりのドクター〉と自分では思っていたのですが。
有機合成化学協会シンポジウム
その2、3ヶ月後にも学生2名相手の会食がありましたが、1人は女子学生。
何と彼女は、私の帰宅途中に住んでいると。途中まで電車で一緒に帰りましたが、〈一応ドクター〉を帳消しにするような帰路でした。
ツーさん【2025.7.21掲載】
葉羽 失礼な後輩の発言だったけど、一応オツリが来るような経験したんなら、いいんじゃない?(笑)