大学4年時、そして社会人になってから2年間留学した、農学部農芸化学科有機化学研究室は平成15(2003)年に創立50周年を迎え、祝賀会が行われ、記念冊子が発行されました。

創立50周年の記念冊子(筆者提供)
その冊子には私も寄稿し、学生時代の一端を窺い知ることができます。タイトルは「出来の悪い学年ではありましたが・・・」で内容は、
「・・・さて、50年間は栄光の歴史ではありましたが、卒業して26年、もう時効かと、その栄光の歴史の中で、非常に出来の悪い学年があったことをこの紙面を借りて打ち明けるというか、文書にしたためておきたいと思います・・・
・・・伝統的にお酒をよく飲む研究室ですが、松井先生が忙しく教授室にあまりおられないのをいいことに、時として卒論だけで飲んだものでした(注:飲むのは教授室だった)・・・
・・・卒業コンパの2次会では、森先生をディスコに連れて行ったりもしました・・・
・・・そして何と言っても悲惨だったのが、私を含めて3人が大学院を受験して、3人とも「桜散る」だったことです。栄光ある長い歴史の中に一大汚点を残したと、今でも済まなく思っています。
が、社会人になってからはそれをドライビングフォースとし、大学の数年間で学ぶことより、社会人になってからの30数年間で学ぶことの方がずっと多い(雑感 172)と前向きに考え、幸いにも、また2年間研究生として森先生の指導を受け、学位は取得することができました。また、会社においても、それなりに責任を負う立場になりました・・・」。

創立50周年の記念品(パーパーウエイト)(筆者提供)
大学院は落ちても学位記(農学博士)は取得することができ(雑感 125)、若いうちは人生取り返せる、ということですね。
ツーさん【2025.6.16掲載】
葉羽 僕らの東北大学経済学部の学年はどうだったのかなぁ。一級上までは学生運動にまい進している人たちが多く、僕らノンポリとは明らかに違う人種だった気がする。そう言えば、僕らが卒業した年度に「卒論」を提出したのは学部で僕ひとりだった(必須ではなかった)。やっぱり”出来の悪い学年”だったのかな。
←(ホントは卒業単位が心配なので慌てて書いた。アライ君は途中で脱落。笑)