小説を読んでいて分からない語句があったとしても、辞書を引くことはまずありません。
一つ二つ分からない語句があっても、大きな流れが分からなくなることは、ほとんどないと思います。
最近読んだアンソロジー「惑 まどう」(実業之日本社文庫)の中の1編に、次のようにありました。
『惑 まどう』実業之日本社文庫
「・・・それを回避するためには、きょどろうがどもろうが、こちらからせっせと話しかけてゆく・・・」の「きょどろうがどもろうが」が何度読んでも分からず、辞書ではありませんがネットで調べました。
2000年頃の若者言葉に「きょどる(「挙動不審になる」を省略した表現)」という語があり、「きょどろうがどもろうが」は「挙動不審になろうが、どもろうが」ということで、そんな言葉を小説に使うか、と思ったものです。
一人「きょどって」いる人(笑)
でもその後読んだ2作品で「きょどる」が使われていました。一般的に使われているのですかね?
「横溝正史が選ぶ日本の名探偵 戦後ミステリー篇」(河出文庫)の中の二木悦子著「黄色い花」には「・・・ころがりこんで来たのは、慎太郎刈りの青年だった・・・」とあり、慎太郎刈り(故石原慎太郎の、1955(昭和30)年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞した頃のヘアスタイル)を私は知っているものの、最近の若い人にはもう何のこっちゃ?だなと思いました。
『横溝正史が選ぶ日本の名探偵』
「黄色い花」が上梓されたのは1957年で、まだ街には慎太郎刈りが溢れていたのでしょうね。
慎太郎刈り(石原慎太郎)
「きょどる」も「慎太郎刈り」も既に死語の範疇で、時代を超えない小説かなとも思いましたが、昔の文豪の書いたものは、少なくとも私にとっては死語だらけです(参照:雑感 332)。
時代背景の一つ、と理解すべきなのでしょうね。
ツーさん【2025.1.20掲載】
葉羽 「きょどる」はあまり使いたくない言葉だね。「通信」の誰かが書いてきたら編集長権限でバッサリ校正だな(笑)。もっとも既に「死語」とされているけれど。