短編集「Yuming Tribute Stories」(新潮文庫:雑感 336)収載の小池真理子著「あの日にかえりたい」にはこんなくだりが。
「・・・携帯電話やパソコンはおろか、学生の住まいには固定電話すらなかった・・・約束ごとはたいてい、会った時に交わすか、もしくは手紙のやりとりをして決める・・・」。
『Yuming Tribute Stories』
これを読んでまず思い出したのは、平成14年11月に亡くなった父との見舞い時の会話です。
父は9月に倒れ、それから毎週のように福島に帰りましたが、その時の会話の一つです。
父曰く「遂に携帯もパソコンも俺は使わなかったなぁ」。
昔のパソコン
携帯はともかく、患者さんが1日70人とか80人の時代には保険計算もパソコンで効率化できたでしょうが、晩年は1日数人でしたので、手計算で十分だったのですね。
大学1、2年の時は部屋に電話はありませんでしたの、約束ごとは上記のくだりそのものでしたね。
友人からのご都合伺いや、同窓会の案内の葉書が、PDF化されてはいますが、時代を感じさせる懐かしい思い出として残っています。
友人からのご都合伺いの葉書(筆者提供)
かつて、母との一番の思い出は、母からもらった手紙と書きました(雑感 192)。
毎月の仕送りの現金書留には必ず手紙も入っていましたし、それ以外にもちょっとした連絡での手紙・葉書がありました。
福島高校コンパのお知らせ(筆者提供)
大学3年からは部屋に電話を引きましたし、仕送りも銀行振込みになり、手紙は全くなくなりました。
あの時代だったからこそ、今にして思えば「いい思い出」と言える思い出を醸し出したのですね。何かと不便な時代ではありましたが、少しだけ・・・あの日にかえりたい。
ツーさん【2024.12.2掲載】
葉羽 大学の時を思い出すなぁ・・仙山線のはずれの方に住んでたんで、周囲に公衆電話もなかった。30分かけて建一郎の下宿まで行ってみないと麻雀のメンツがいるかどうかも判らなかった。ま、いつもメンツは揃ってたけどね(笑)