ちなみに岸波通信読者名鑑登録の中のAwano、いっとく、樫村志郎も3年6組でした(雑感 373)。
樫村志郎は東大文Ⅰを目指していましたが(勿論合格)、何故か理系の同じクラスでした。
彼とは中学2、3年の時も同じクラスで旧知の仲でしたので、「お前何で理系?」と訊くと「文系科目は自分でできるので、弱点補強」と。
現在の樫村志郎(右:白髪)
彼は、私が出会った中でもトップクラスの頭の良さでした。小野富士といい、樫村志郎といい、強者(つわもの)というよりは曲者に恵まれたクラスでした。
ところで若者は「さぶろく」のような小冊子を作るのが好きなのでしょうか。
小学校の時の文集は先生が編集していましたが、中学からは小冊子を自分たちで編集していました。
中学1年の時は「THE ZENGO 思い出」(雑感 196)、中学2、3年の時は「若者は何を思う(第1、2集)」をクラスで発行し、いずれにも私は関与しました。
中学時代の機関誌の表紙(筆者提供)
中学3年の時には出版部長として学校全体の機関誌「まなびや」の編集にも携わりました。
中学時代『まなびや』の編集後記(筆者提供)
さすがに高校の時はそういった冊子はありませんでしたが、文芸部は「襤褸(ぼろ)」なる冊子を発行していて、保存してあるPDFを見ますと、この通信の看板ライター三浦彰が編集責任者です。
高校時代の文芸部冊子の奥付(筆者提供)
大学時代は「さぶろく」とは別に、教養のクラスに夏秋(なつあき)なる姓の人物がいて、その名にちなんで「文藝春秋」ならぬ「文芸夏秋」を作りました。
創刊号だけで終わりましたが、私も編集にタッチしました。
今のようにパソコンなどない時代でしたから、原稿書きも編集も全て手書きの手作業。結構時間が掛かったと思います。
歳と共に月日の経過を速く感じるのは「ときめき」がなくなったからと言いますが、あの頃はきっとときめいていて時間もたっぷり使えたのですね。
ツーさん【2024.11.25掲載】
葉羽 中学時代に作った同人誌『EVE』は、原稿用紙や大判写真を閉じ紐でそのまま閉じて回覧していた。一冊も残ってないのはどーゆーワケだ? ま、僕がツーさんのようにマメではなかったという事か(笑)