「さぶろく」って36協定? いえいえ、県立福島高校昭和48(1973)年卒業3年6組の卒業後のクラス仲間小冊子のタイトルです。
何故そんな話をというと・・・岸波通信(本編)「わが青春の『ハレンチ・コネクション』①」に出てくる小野富士(以下同様に敬称略)が、雑感 359に記したノブユキと同じくそのクラス仲間で、「さぶろく」の発起人&編集長だったからです(ちなみに当時は「富士」ではなく「尚」)。
N響:小野富士(ひさし)
6組は理系進学クラスで、彼は卒業後東海大工学部に進みました。
クラスが同じだったのは1年間だけですが、馬が合ったようで、大学進学後もお互いのアパートを行き来したことがあり、社会人になってからも何度か会っていました。
彼がヴィオラを弾くことなど全く知らず、東海大卒業後間髪入れず東京芸術大に入ったことを聞き、驚くと同時に初めて知ったしだいです。
その辺の経緯は彼自身のコラム(https://columbia.jp/artist-info/morgauaquartet/info/53475.html)に記してあります。
で、「さぶろく」は3号まで発行されました。
「さぶろく」の表紙と奥付
「しょうかんごう」は担任が〇〇尚寛だったので(筆者提供)
ガリ版印刷(若い人には何のこっちゃ、ですね)で彼が原稿を全て清書していました。大変な労力ですが、彼はまめでしたね。
私も大学1年夏休みの第1号発刊に際しては、福島高校印刷室まで手伝いに行っていました。
話は40年も飛びますが、モルゴーア・クァルテット演奏会には、還暦の頃でしたが何度か聴きに行きました。
モルゴーア・クァルテット演奏会パンフレットから(筆者提供)
私の友人の中で三大芸術家は、彼とMIZO画伯とアンブレラあつしですが、彼がピカイチで、私の知人の中では一番の有名人と思います(アンブレラあつしも有名人になりつつありますが)。
大学教養の時のクラス仲間で学士院賞受賞者がいますが、そんなのは知る人ぞ知るですし。
ツーさん【2024.11.11掲載】
葉羽 思えば、大学以降は仙台で知り合った友人とばかり付き合っていた。昔の仲間と音信を交換するようになったのは30歳の時の初同窓会からだな。でもって「通信」で、さらに交流を深めた。古くからの友人と付き合い続けるというのはイイもんだね♪