いずれも短編小説集ですが「激動 東京五輪1964」(講談社文庫)、「オリンピック」(角川文庫)、「作家たちのオリンピック」(PHP文芸文庫)など、タイトルに五輪やオリンピックが付いているとついつい読んでいました。
「作家たちのオリンピック」
もう1年くらい前になりますが「東京五輪の残像 1964年、日の丸を背負って消えた天才たち」(西所正道:中公文庫)、「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」(講談社文芸文庫)と立て続けに読みました。
後者は当時の文学者が新聞や週刊誌(サンデー毎日など)に寄稿したルポルタージュ集です(雑感 349)。
どちらの本も東京五輪1964をテーマにしていますが、半世紀以上経っているにもかかわらず、読んでいるとあの頃の情景が思い浮かんできます。
東京五輪入場行進/1964
札幌五輪(1972年)や長野五輪(1998年)もそれなりに思い出すことができます。でも3年前の東京五輪2020はあまり記憶に残っていないのですね。
コロナ禍であったので開催反対の声も結構あったことや、暑さ対策でマラソンコースが札幌になったことは覚えていますが、一番記憶に残ったのは選手にキラキラネームが多かったことでしょうか(雑感 272)。
何故3年前より半世紀以上前のことをよく覚えているのか?東京五輪1964の時は小学4年で、友人との会話の話題にのぼることもあったでしょうし、五輪特集のアサヒグラフなどもよく読みました。
アサヒグラフ東京五輪1964増刊号(筆者提供)
二度目の東京五輪開催が決まって、友人知人と東京五輪1964のことを話すことも増えました。記憶が固定される方向にあったのですね。
かたや東京五輪2020時はコロナ禍真っ最中で、友人知人と会って一杯交わしながら話題にする機会もなく、それで記憶に残らなかった気がします。
ツーさん【2024.10.21掲載】
葉羽 そうだね、五輪の景色はすべてパリ五輪に上書きされちゃったね。それと1964の頃は夢と希望の祭典だったけど、今は商業主義とかロシアの排斥とか政治やカネの話にスポイルされてイメージダウンしてると思う。