五木寛之や浅田次郎は未だに手書きのようですが、今ではほとんどの作家の方がパソコンで書いているでしょうから、電子媒体のやり取りで活字化されますので、いわゆる校正(印刷物を原稿とひき合わせて字の誤りを正すこと)は不要と思われます。
浅田次郎の肉筆原稿
ですので誤植はほとんどないと思いますが、活字化されていると間違いはないように思えるものの、変換ミスはそれなりに見掛けます。
最近読んだ短編集「世にもふしぎな動物園」(PHP文芸文庫)の中の1編に、名誉のために作者の名は伏せますが、次のようにありました。
「・・・正直に答えたと自覚しているし、それほど主観の入る余地のない標準的な解答だと思うのだが・・・」。
問題を解いたわけでもなく単なる返答ですので、「解答」ではなく「回答」ですね。
「世にもふしぎな動物園」
誰が書いたかは忘れましたが、「長期にわたる」「多岐にわたる」の「わたる」は漢字では「亘る」ですが、「渡る」とあるのを何度か目にした記憶はあります。
「及ぶ」の意では「亘る」ですね。「のぞき見る」意での「窺う」が「伺う」になっているのも時に目にします。
書名は忘れましたが、井上ひさしのエッセイに「泥仕合」が「泥試合」とありました。国語の造詣も深い井上ひさしでしたが、贔屓のヤクルトがボロ負けしている試合でも見ながら書いていたのでしょうか。
ヤクルトファンの井上ひさし
上梓されるまでには幾重ものチェックがあると思いますが、チェックした方の素養にもよるものの、その目を通り抜けたということなのですね。
まあ、所詮人間のすることですので、そういうミスの根絶は難しいと思われます。いずれは、文書チェックはAIが担うようになるのでしょうか。
ツーさん【2024.8.26掲載】
葉羽 習慣の付け方なんだろうね。僕もツーさんに倣って「岸波通信」の”人生を振り返ってシリーズ”をWORD書きに変えたら「長さ」感覚が身に付いてきたよ。それにしてもツーさんは凄いね、いつも原稿をWORD一枚にピッタリ収めてくるんだもの!