若い頃ですが忘年会では何年かに亘り毎年、沢田研二のその年のヒット曲の1曲を歌っていました。
振付けも交えて歌っていましたが、まあ、若かったので盛り上げ役といったところでしょうか。
結婚式の披露宴では仲人の方から「彼は中研(中央研究所の略)のジュリーとも言われていまして、云々」の紹介もありました。
沢田研二
カラオケで歌うのには「時の過ぎゆくままに」が好きですが、盛り上げのためには「危険なふたり」と「勝手にしやがれ」でした。
気が付くと「勝手にしやがれ」を「勝手に」入れられることもしばしばでした、勿論拒否せずに歌いましたが。
「勝手にしやがれ」や「危険なふたり」を歌うのは若い頃の思い出として、役職が付いたらもう止めようと思っていました。
40歳を過ぎ室長代理、部長代理(室長代理1年後に部署再編成で室が部になり、さしたる実績もないのに役職だけは偉くなった気がしました)、所長代理となりましたが、「まあ、代理のうちはまだいいか」と歌っていました。
工場長時に社内旅行で「勝手にしやがれ」を歌う筆者(筆者提供)
やがて所長、工場長となりましたが、やはり歌っていましたね。工場の社内旅行の宴会時には「工場長、是非沢田研二を」など言われれば、性格的に厭とは言えませんでした。
工場の社内旅行の日程は日月(月曜は社内旅行休業日)でしたが、そんな日程とはお構いなしに月曜日に経営会議を設定され、やむなく宿泊なしで帰ることもありました。
そんな時は、宴会途中に「危険なふたり」で盛り上げて、「皆さん、さらに盛り上がって下さい。それでは」と。
60周年
先日、「かっぱえびせん、60周年」のチラシが入っていましたが、私の沢田研二も「やめられない、とまらない」だったのかと。
ツーさん【2024.8.19掲載】
葉羽 そっか「中研のジュリー」だったのか(笑) なら、僕は●●県庁の島耕作かな(大笑) 職場でね、パートナーや部下や上司など、エース級の女性職員と組まされることが非常に多かったんだ。どうも「アイツなら上手くやれる」と思われていたフシがある。実際、僕と一緒に仕事した女性たちは誰も皆、大出世したけどね。