先週は藤井聡太棋士が8冠独占、先々週はオリックス山本由伸選手が3年連続投手4冠、8月には大リーグ大谷翔平選手が2年連続2桁勝利&2桁本塁打の偉業を成し遂げ、それらを伝える記事の見出しには「前人未踏(未到)」または「史上初」という枕詞が多く見られました。
ちなみに私は「前人未踏」と覚えていましたが、「前人未到」もほぼ同様に使われるのですね。
「前人未到」
愛用の「角川国語辞典」(1967年発行:雑感 137、188、312)は「未踏」「未到」共に載っていましたが、「ぜんじんみとう」としては「前人未踏:今までだれも到達していないこと。今までだれも足をふみ入れなかったこと」のみでした。
前人未踏など一介のサラリーマンに過ぎなかった私には無関係と思いましたが、ちょっと考えてみると、待てよ、と。
在職中の主に研究所勤務だった頃ですが、学術報文は20報近く掲載され(雑感 291)、特許はその3倍くらい出願しました。
実験中の30歳頃の筆者
特許成立には新規性と進歩性が必須ですし、学術報文もほぼ同様で、それぞれきちんと審査されます。
ということは、成立した特許や受理された報文は前人未踏のことを行った証しなのではないでしょうか。
例えば私の報文に「(-)-ペンタレノラクトンEの合成」がありますが(画像参照)、世界に先駆けて合成したというものです。
「(-)-ペンタレノラクトンEの合成」の報文(筆者提供)
学術的にはさしたるインパクトもなく、単に私の学位論文の一要素という位置付けでした。何の感動も勇気も元気も与えませんが、言ってみれば前人未踏ではありました。
全く同じ人生などありませんから、一人ひとりの人生もまた前人未踏・・・それは言い過ぎでしょうか。
ツーさん【2023.10.16掲載】
葉羽 一人ひとりの人生もまた前人未踏・・いいね、その考え方!そう・・誰もが主人公。←(さだまさしか、お前は!)