三浦しをんのエッセイ「ビロウな話で恐縮です日記」(新潮文庫)は睡眠導入薬の如く読んでいました。
「ビロウな話で恐縮です日記」
その前書きには「三島由紀夫は日記に、「尾籠(びろう)な話で恐縮だが」と書いた。・・・日記なのに、だれに対してともなく恐縮してみせる由紀夫。・・・きっとものすごくひとに気をつかう性格だったんだろうなと・・・」と。
尾籠の意味は分からずとも、「尾籠な話で恐縮だが」はへりくだった言い方で、何となく意味は察せられます。
ネットで調べればすぐ分かりますが、引用するのはやはり「角川国語辞典」(雑感 137、188)で、「尾籠:①けがらわしい。はばかられる。「-な話」②失礼だ。無礼だ」とありました。
「尾籠な話云々」くらいは日常会話で使えそうですが、相手から「ビロウ?belowな話?」とか訊かれそうで、説明も面倒ですので、やはり使うことはないですね。
たまたま同時期に読んでいた「上京小説傑作選」(中公文庫)収載の梶井基次郎の「橡(とち)の花」に次のようにありました。
「上京小説傑作選」
「(動物公園などで子供を乗せて回る驢馬(ろば)が立ち止まってオシッコをして、乗っていた子が泣き出した情景をして)・・・人のいい驢馬の稚気(ちぎ)に富んだ尾籠、そしてその尾籠の犠牲になった子供の可愛い困惑・・・」。
普段なら見過ごすような表現ですが、「尾籠」で目に付きました。
吉村昭がエッセイ「事物はじまりの物語/旅行鞄の中」(ちくま文庫)の中で書いていた「・・・日本の作家の中で、私が最も影響を受けた作家の一人に、梶井基次郎がいる。・・・現在読み返してみても、まばゆいほど新鮮で、文章とはかくなるものか、と目をみはる。・・・」が何となく理解できるような気がしました。
「事物はじまりの物語/旅行鞄の中」
ツーさん【2023.9.11掲載】
葉羽 尾籠(ビロウ)って字を探してたら、「マツコ会議」の可愛いくて有名な尾籠(おごもり)美香ディレクターに行き当たった。こういう名字の人も居るんだね。ちなみに尾籠ディレクターの特技はコレだそうだ(笑)↓
日テレ/尾籠美香ディレクター