武田百合子の“富士日記(上・中・下)”(中公文庫)は、武田泰淳・百合子夫妻が時には娘さんも交えての、昭和39(1964)年から51(1976)年にかけての富士山麓での別荘生活を綴ったものです。
富士日記/武田百合子
作家たる夫から別荘滞在中の日記を書くように勧められ、他人に読まれることを意識することなく書かれたもので、読まれることを意識した表現もなく、凝った表現もなく、素朴な文章が心に沁(し)みてきます。
その別荘の近くには泰淳の作家仲間たる大岡昇平の別荘もあり、頻繁に行き来していたようで、大岡昇平に関する記述も多く見られます。
大岡昇平
以下はいずれも下巻からですが、「・・・大岡さんにお貸しする反戦フォークのレコードとテープを・・・(昭和44年8月19日)」、「・・・大岡さんが聞きたかった「水虫の唄」がはじまったので・・・(同年8月23日)」、「・・・大岡夫妻が庭を下りてくる。ギターと教則本を持って・・・(同年9月28日)」、「・・・大岡さんは、今年、現在は、フォーリーブスの大ファンで、テレビは欠かさず見、レコードも買い、ゴシップも沢山知っている・・・(昭和45年7月20日)」。
フォーリーブス
大岡昇平といえば「新潮日本文学アルバム」(全71巻)(雑感 72)に名を連ねるほどの作家で、読んではいませんが「レイテ戦記」などから何となくお堅い方というイメージでした。
でも、上記のフォーリーブスを例えばフォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)に置き換えると、私の中学時代と変わりありません。
水虫の歌
むしろフォーリーブスの大ファンだったとは私よりもミーハーだったようです。お堅い作家に急に親近感を抱いてしまいました。
ちなみに「水虫の唄」はフォークルがザ・ズートルビー(ザ・ビートルズのもじり)名で歌いました。
ツーさん【2023.8.28掲載】
葉羽 まだグループサウンズが出る前だものね、そして舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫の元祖御三家との間。まずジャニーズが居て、その後フォーリーブスで確かなトレンドになったという事かな。