あらゆることに限界を感じた懊悩の日々・・・。しかし、本当の“青天の霹靂”は、その後にやって来た。
突然、妹分のアッチからの電話が鳴った!
「ナオチャンが倒れた!来て!」
体調不良を押して出張したナオが出先で倒れたというのだ・・・。
僕は、修善寺にある緊急救命病院へと向った。
アッチが、ぼぅーっとして付き添っている。
脳髄膜炎・・・
夜に倒れて翌日の昼過ぎに、
出勤しないのでおかしいと思った同僚に発見された。
大した病ではない、言語障害が残る程度だろう。
だが・・・
ナオは意識不明のまま、二度と目を開く事はなかった。
やがて、隋膜脳炎が進行して彼は植物人間となってしまった。
脳幹近く迄、ウィルスに犯されてしまい
メスを入れるのは不可能だった。
僕や、二人の共通の弟分NEXT-ONEは
奇跡を信じて病院へ通った。
思いや願いも虚しく・・・
関東には珍しく雪の降る一月の朝に、
ナオは静かに逝った。
二年半の間、口を開くこともなく、
ただ大好きだった雪に包まれて彼は旅立った。
ナオ、やっと気付いたよ、
なんで、僕を名前の下でユキって呼ぶのか・・・
雪に掛けてくれてたんだね!!!
反則だぜぇ~こんなのぉ~
残される身になってみろよぉ~
うっうっ、バカヤロウォ~
スキーだってさ、もうどうでもいいのにさ、
やめられなくなっちゃったじゃぁないかぁ・・・
僕があの頑固で依怙地でヤナ奴、ナオに始めて会ったのは、
富士通の専門学校で実習講師をしている時だった。
妙に’社会という名の汽車’に乗り遅れた奴等に
親しみを感じる季節だった。
「失敗」・「挫折」、ナオと僕の唯一の共感だった。
他はまるでコインの裏表のように全く食い違っていた。
僕は若さなんて棒に振るもんだと思っていた。
ナオは全てを未来に繋ぐ事を考えていた。
僕は全てに背を向けていた。
ナオは全てを受け入れようとしていた。
僕は人間である前に動物であることを望んだ。
ナオは動物である前に常に理性的人間であることを望んでいた。
僕は汽車に乗ることを諦めて、裏街道を選択した。
ナオは少し遅目の汽車に乗り世に出ることを望んでいた・・・。
ある日、ナオが・・・
「ユキ、どうしてそんなに自由奔放に正直に生きられるんだ?」
~と訪ねる。
僕は“ナオ、どうしてそんなに不自由でウソツキなんだ?”
という言葉を押し殺して、
「どうして、そんなに何にでも頑張っちまうんだ?」
~と、少し皮肉ってしか聞けなかった。
そう、ちょっとだけ素直に弱音を吐ければ、
あの病気からも生還出来た筈なのに・・・
僕は何かを忘れる為に、ナオは何かを得る為にスキーを始めた。
俺達の19年間は雪山と共にあり、そして別々の道を歩いた。
僕はプレイヤー(競技者)、ナオはスピーカー(指導者)。
雪の上で僕は猿! ナオは物理!
徹夜でビデオを見て分析してはナオは僕に物理をぶつけるのだった。
今でも僕のスキーは、ナオの影響を色濃く受けたと実感している。
僕は身体でスキーを覚え、ナオはスキーを科学した。
(悪魔の声)楽しけりゃぁ、上手けりゃぁ、何だっていいじゃん!
ともあれ、スキーの御蔭で二人には共通の目的が生まれた。
30歳迄にはイントラになろうと約束した。
いや、あれは誓ったんだと思う。
☆二人で同時にバッチテスト二級に合格した。
☆僕がこっそり、山形でバッチテスト一級を取得したシーズンに
ナオも少し遅れて一級を取得した。
☆二人同時に準指導員を落ちた。
☆そして、二人同時に準指導員に合格した!!!
ピッタリ30歳の冬の事だった。
俺達、足並み揃えてスキーをしたんだ!
僕の辞書に「唯一無二」って熟語が追加された。
(有り得ない筈だったのに・・・)
そして、ナオが去り、家族と死に別れた年に
僕は家を出て、家族と生き別れとなった。
今夜の酒は、ナオの口癖だったあの言葉、
「知識こそ永遠且つ最大の財産だ!」
~を封印して、永久に記憶保護を掛ける為に
そして、僕が有りのままに生き続ける為に飲もう!
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唯一無二、生涯の友
(千葉県スキー連盟)
公認準指導員:ナオ
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若くして去った彼は、仲間内で伝説となり、
不幸にして生き長らえている僕は
ロクマモンのまま人生の幕を引くだろう。
だけどナオ、僕は泣かない。
たとえロクマモンでも、僕は君の悔しさや
君の人生も一緒に背負って生きていく。
そうさ・・・泣いてたまるかぁ~!!
上を向いたらキリがない 下を向いたらアトがない
泣いてたまるかっ! 夢がある
(by 朱雀RS 2012.10.27 リニューアル・アップ)
そして傷心の朱雀は、妹分アッチから預かったナオの遺灰を携えて、二人の思い出の山へと。
“泣いてたまるか!”・・最後の別れの刻、こらえ続けて来た朱雀RS、ついに号泣。 次号、必見!! |