翌月は名古屋で待ち合わせ、八方へSKIへ行った!
彼女の分、一式を揃え二人分の道具を持って新幹線で・・・
試合では何本も持って行くのでお手の物だ!
ゲレンデでは、スーパースターだ!
やったぁ~婚約しちまったぜ!
次の月には、はやる気持ちも抑えられず広島へ・・・
「御嬢さんを、下さい!」
ひぇ~言っちまったぜ!
広島での滞在先が、HOTELから彼女の家に替わった。
(この時に、僕は気付くべきだった・・・)
なにも見えなかった、舞い上がってただ突き進んでいた。
東京~広島、600Mileの遠距離恋愛!!!
広島へ、広島へと僕は向かい続けた。
彼女に会えることが、ただただ嬉しかった。
伊勢志摩や遊園地や様々な処へ出向いた。
交通費と電話代は、僕の収入を遥かに超えていた。
この距離の重さを、しっかりと受け留めておくべきだったのだ・・・。
翌年の夏には、目黒のお姉さん宅で、両家揃っての御挨拶が済んだ。
結婚式場もヒルトンホテルに予約を入れた。
婚約指輪も準備して彼女に贈った。
いつのまにか、僕の知らないうちに新居が阿佐ヶ谷に決まり、
彼女の東京での就職先が決まった。
僕は、どうしても二人で決めたかったのだ。
廻りが勝手に動き出していた。
男のくせにマリッジ・ブルーに陥ってしまった。
(E美も、きっとそうだったに違いない。)
結納を控えた3日前の夜、電話が鳴った。
「あたし、やっぱり、よう行けへんわ・・・」
身体が凍りついたように固まってしまった。
「E美チャン・・・」
そう言うのが精一杯で、ただ、彼女の言葉を聞いていた。
彼女のお父様は、半身不随で車椅子の生活をなさっていた。
今だから判る、介護はお母様一人では到底無理な話なのだ。
僕等の結婚は、僕が広島に移住するか、彼女の家族全てを東京に引っ張り出すしか実現しない事だったのだ。
彼女は、電話の向こうで泣きじゃくっていた。
僕は慰める言葉も持たなかった・・・。
「お砂チャン ゴメンね! 電話切るよ・・・」
受話器がコトリと切れた。
破談だ! やっぱり、笑うしかなかった。
翌日、お父様が御詫びの電話をくれた。
「本当に申し訳無い・・・御詫びのしようもない。」
・・・いまだに、胸に深く突きささる。
600Mileは、もし結婚していたら、彼女と家族との距離になることに僕はまったく気付かないでいた。
更に悪いことに、冗談ではあったが、
「嫁に来るんだから、家族を捨ててくる位の覚悟じゃないとね・・・」
などと言ってしまったことがある。
彼女は深く傷付いていたに違いない。
こうして、僕等の恋は終わった。
その後、彼女の声さえ耳にしたことはない。
あれほど人を好きになることは二度となかった・・・
遠距離恋愛は良い部分しか目にする事は無い。
悪い部分や相手の事情も知って、理解することも学ぶべきだった。
僕は、彼女は、お互いに偶像に恋していたに違いない!!!
結婚は、恋って熱病を通り越したら、
良き理解者で、良き協力者になることなんだと思う。
恋人で有り続けたいけれども、
きっと、良い仲間である方が上手く行くんだと・・・。
それにしても、母親ってのはスゴイ!!!
「あんなに上品で礼儀正しい娘は見たことが無い!」
などと言っていた母が、
「そういえば、あの娘はどこか意地悪だったじゃない!」
などと言うのだ!
「違う! チガウぅ~!!!!」
「カアチャン、悪いのは俺の方だったんだよ!」
「カアチャン、その話、二度としたらイケンヨ!」
上を向いたらキリがない 下を向いたらアトがない
泣いてたまるかっ! 夢がある
(by 朱雀RS 2012.6.10 リニューアル・アップ)
葉羽さま
あの日から、僕のカラオケでの十八番はBORO「大阪で生まれた女」になりました。 |