Rei 前回、始めてハンスさんに日本の「生け花」を教授した後、夫が病気になり、私たち夫婦は一時帰国することになりました。
その間、ハンスさんは・・?
◆ハンスさんと生け花(その3)
初めての「生け花」教授のあと、生け花に興味を持ったハンスさんを誘い、トゥットリンゲンの市民講座「生け花一日コース」に参加した。
講師として、マイヤーさんの時と同じ、あのドイツ人男性の先生が、シュトットガルトからやって来た。
今度は、シロウトのわたしではなく、教授資格のある先生の指導。
ハンスさんの生け花熱は、ますます高まったようだった。
そうこうするうちに、思いがけなく夫が病に倒れ、わたしたち夫婦は残念ながら日本に戻ることになった。お先真っ暗とはよく言ったものだ。
そんなわたしに、ハンスさんは「これなら枯れることのない」と、陶器製のリースをプレゼントしてくれた。
あれから長い年月、変わらず大事に持っている。(↓)
帰国後、一年にわたる闘病生活を経て夫は仕事に復帰し、そのまま東京勤務となった。
最初のドイツ滞在で知り合った友人知人とは、手紙とクリスマスカードで、細々とながら繋がっていた。
東京の社宅に、ある日、ハンスさんから、B5くらいのサイズの封筒が届いた。

中には、ハンスさんが生けたという生け花の写真と、ドイツで生け花を教えることができるZertifikat 資格証明書を取ったと書いた手紙が入っていた。
聞いてみたら、ハンスさんは、生け花をもっともっと勉強したいと、仕事の傍ら、Stuttgart シュトットガルトにある IKEBANA Schule 生け花学校に通っていたのだそうだ。

意志があれば、道は拓けるのだなぁ、と感心した。
上京し、数年たったある年、夫に2週間の休暇がおりた。
ドイツのリハビリ病院のでお世話になった療法士、ペーターさんが独立して開業したという。
その場所が、偶然、ハンスさんの住むSt.Georgen ザンクト・ゲオルゲンの町だった。
リハビリテーションの分野では、残念ながら、ドイツは日本よりずっと進んでいる。
ドイツでリハビリを始めた夫は、それを痛感していたらしく、もう一度、ペーターさんの施術を受けたいと、会社と交渉しおりた休暇だった。
その機会に、ハンスさん宅を久しぶりに訪れた。
ハンス先生の作品
玄関フロアに、広いリビングに、今やドイツの華道教授となったハンスさんの生け花が、飾られていた。
「好きこそ物の上手なれ」のお手本のようだと思った。
ハンスさんは「名刺も作ったのよ」とうれしそうにそれを渡してくれた。
「生け花」の文字は、ドクター・ハンスが日本人駐在員に書いてもらったそうだ。
ハンス先生の名刺
ハンスさんは、生け花の先生として、近隣の花屋さんで教えている、ということだった。
この頃、生け花はまだ、南西ドイツの田舎ではポピュラーではなく、生け花人口は極限られていた。
水盤や剣山、花鋏など、日本からの輸入品は値段が高かったことも理由の一つだと思う。
【2025.3.30掲載】
Rei 病気で帰国して十年後、完全快復した夫は再びドイツに勤務することになります。次回、「生け花編」の最終回♪
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