Rei 前回に引き続き、もう一つの不思議な出会い、再会があったコンサートについて書いてみます。
◆もう一つの再会コンサート
最初のドイツ滞在時、住んでいた町はトロシンゲン(Trossingen)という。
人口1万5千余の小さな町だが、ここにホーナー社(Hohner)という、世界で初めてハーモニカを作った会社がある。
ホーナー社のハーモニカ
ここにはまた、町の発展にも尽くした、創業者の孫の名前を冠した、コンサートホール (Dr-Ernst-Hohner-Konzerthaus)がある。
建てられたのは1960年、比較的新しい建物で、席数は762と福島市音楽堂より一回り小さい。
このホールは、当時住んでいたアパートの真向かいにあった。
ここでも定期的にコンサートが開かれ、Abonnement (アボネマン: 定期会員)になると、いつも同じ席で聴くことができる。
夫と2人で会員になっていた。福島市音楽堂友の会のようなものだ。
当時暮らしていたアパート
われわれの席はステージに程近い位置にあった。
とある夜、ミッシャ・マイスキーがソリストで、日本では「ドボコン」の愛称で有名なドヴォルザークのチェロ協奏曲がメインのコンサート。楽しみにでかけた。
当時のミッシャ・マイスキー
マイスキーはあの巻き毛の長い髪を振り乱しての熱演、彼の汗がとんできそうな距離で聴いた。
オーケストラはソロに気圧されタジタジといったところ、よく覚えている。
それから二十数年の月日が経ち。。。
ドイツでは、ゼロのつく誕生日は特別である。ドイツに住むインさんは、その地の習慣にならい、わたしの還暦のお祝いにと Freiburg(フライブルク: 最寄りの大きな町)でのコンサートをプレゼントしてくれた。
たまたま、ドイツにいるとき、日程が合ったコンサートを選んだのだが、偶然にもまたミッシャ・マイスキーの、あの「ドボコン」がプログラムに入っていた。
フライブルクのコンサートホールは、最近建てられたというモダンな建物だ。
クロークもあり、コンサートの休憩時にはワインやソフトドリンクも楽しめる。
マイスキーもツィンメルマン同様、巻き毛の髪は白くなっていたが、熱演ぶりは変わらなかった。
ミッシャ・マイスキー
またしても数十年の年月を経て、ミッシャ・マイスキーと、彼の「ドボコン」と再び出会った。全くの偶然なのだが、とても不思議な気持ちだった。
Rei【2024.4.10掲載】 |