|
|
その47「江戸文化、川とまち-2の巻」 | |
ピカイチ君の講演「江戸文化、川とまち」の第二回目です。 下水道の話ですと、これは実は江戸らしいことですが、小下水、大下水といい、地下浸透なり自然流下されていくわけですが、江戸の循環の素晴らしいところで、特に260年ももったというところは、糞尿です。 人間が出す一番の廃棄物が、高級な回収資源となりました。金になるということです。 田舎から野菜を持って来て、江戸で売り払い、売り払った桶の中に飼尿を入れて帰っていく、金を出して買っていくということです。
武家は、参勤交代等であまり良い物は食べていず、町人は夜越しの金は持たないということで、相当良いものを食べていて、町人の糞尿は高かったそうです。そういう話がありました。 清潔な水郷都市ということですが、この頃ちょうどロンドン、パリは下水というものは出来ていませんでした。 窓から自分の糞尿を出していくという、道路が下水路になり非常に不潔でコレラが発生しました。 今の歩道のマウンドアップというのは、貴婦人が裾を汚さないために、マウンドアップをしたというのがそもそもの由来です。それはヨーロッパからきた歩道の構造です。
特質的な話としては、下水のことです。 「町ごとに下水に杭(やらい)を打ち、溜めを作り、溝が滞らないように月3度人足を出してさらいあげる。」 やらいとは何かと言うと、時代劇で罪人がさらされたりすると、この間から「おとっつあん」と出てきます。 竹やらいや、角やらい、いろいろなやらいがありますが、これを下水の末端に付けました。それで、本川にはごみを流さないという仕掛けです。 江戸には今のようにペットボトルはありませんから、ほぼ全部消化しましたが、それでも流れるものは全部やらいで止めて、地元の管理を下水奉行がきちんと取り締まったということです。 お亡くなりになりました撞井さんが最後におっしゃったのは、亀田川でも、馬場川でも、各下水路から出てくる流末にこういうスクリーンを作り、地域で管理すること、これが逢瀬川を守る一番の仕掛けであり、コミュニティであるとおっしゃっていました。 これが「やらい」という言葉です。この機会にぜひ覚えて頂きたいと思います。
後ろのページに行きまして、江戸がなぜ260年ももったかという継続性ですが、それは循環型社会で、リサイクル出来ない資源は使わなかったということです。 水、大気、生物循環、着る物、食べる物、住む物の材料は全て太陽エネルギーです。 科学エネルギーは無く、作る物も全て人力のエネルギーで作る、物を運ぶ時も全て人力である。一番の交通手段となる船も全て風力、人力で移動させたということです。 徹底したリサイクルが出来ていた、回収業者、リサイクル業者、修繕業者、こういう古着屋さんなどで一つのコミュニティが成り立っていた。 浄化できない汚染の蓄積は無いという、まさにエコロジカル都市でした。
今、日本では非常に目先の便利さということで、ペットボトルなど腐らない、地球に戻らない、土に返らない、そういうものを一生懸命使って来て、その大量発生した廃棄物の上で私たちは生活しています。 私はそれを見ると、後世に対して懺悔をして、地球を壊して申し訳なかったと思いながら、土に帰っていく世代なのかと思います。 あと何世紀かすれば、私たちの世代は、非常に悪い世代、地球を壊した世代だと批判されるのではないかと思っています。
そういう事を思うと21世紀の前半は、しばらくは批判されますが、少しでも保全していく、守っていくことが大事だと思います。 また、江戸時代のサスティナブルな街づくり、そして循環、コミュニティを大事にして行く必要があると思っています。 第三回へと続きます。
|
Copyright(C) Pikaiti&Habane. All Rights Reserved. |