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その43「眠りたい はしゃぎたいの巻」 | |
今回は、ピカイチ君の「五感の会津感動記」から。 ◆「眠りたい はしゃぎたい」の詩に涙 ~向かい羽黒山で見つけた羽曽部忠の詩碑~
会津美里町の南、向かい羽黒山の山頂に一遍の詩の石碑がある。 会津本郷町(現会津美里町)出身、羽曽部忠の詩である。 碑の裏側には、「ふるさと会津を舞台に人間を含め自然の中で生き活かされている生き物たちの関係を素朴に力強く祖母たちに語らせ人情豊かな共生をうたい行き過ぎた文明に翻弄される暮らしの不自然さを指摘、読者の共感を得てきた・・・・」とある。 死期を悟った作品と思うのですが、皆さんはこの詩から何を感じるでしょうか。 葉羽 上のピカイチ君の記事を読んで気になり、羽曽部忠という人のことを調べてみました。 羽曽部忠氏は、1924年福島県会津生まれの詩人・童謡作家・童話作家。 福島師範学校を卒業し、後に長野県へ移住し小中学校の教師になったそうです。 やがて上京し、教師を務めるかたわら詩や童話を発表するようになり、同人少年詩誌「ぎんやんま」を創刊して、若手詩人を育てるようになります。 陶芸、絵画にも造詣が深くしばしば個展も開きましたが、やはり、少年詩の分野での活躍が顕著で、福島自由詩人賞、新美南吉児童文学賞など多数受賞。 会津ペンクラブ、本郷文化土の会、「子供と詩」文学会などの会員です。 1992年没。 ・・・・おっと、今から20年前になりますね。 主な作品集に『ばあさんはふるさと』(かど創房)、『けやきの空』(かど創房)、童話・絵本に『ションベン小僧』(フレーベル館),『ことりとふうせん』(毎日新聞社)などがあります。 が! 実は、この人の詩は、小学校低学年の教科書によく使われているのです。 ネットを見たら、たくさんの引用詩とその指導方法が書いてありました。 そんな中で、何となく記憶にあったのが次の「草の実」という詩です。
掲載教科書は『大書4上』とありましたが、もしかすると僕が小学校一年生の頃に学校で習ったのかもしれません。 冒頭の碑の詩ですが、やはりピカイチ君の言うとおり、死を予感した後の作品だと感じます。 会津に生まれ、長野、東京と移住しながら詩を書いた人物ですが、会津ペンクラブにも入っていたことから、晩年はふるさと会津へ帰って来たのでしょう。 ただ、会津で病床に伏しながら書いた詩とも思われますし、どこか別の場所で、帰れないふるさとへの望郷の想いを綴ったとも解釈できます。 どちらであったのか・・・。 願わくば、ふるさとに包まれて最後の時を迎えたと信じたいものです。 右の背景画像は、「眠りたい はしゃぎたい」の詩碑です。
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