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その27「公園で一休み♪の巻」 | |
ピカイチ君の「欧州のまちづくりレポート」のシリーズ第五話でございます。 【中心市街地にある大きな公園】 自主研修はとにかく自分の足で磁石と地図で歩き回った。 何処にいっても観光客が多くガイドマップにのっている有名な通りはシャンゼリゼ通りを除いて、狭くまた高さが統一され、隙間もなく建てられたお城のような石造りの町並みが見慣れてくるとワンパタンで息苦しくもあった。 そんなとき公共施設に隣接した市内の公園で一休みした。
街の至る所にある大きな公園、高木と芝、歩道とベンチ、そして池と、石造りのストリートから解放された。 高齢者、アベック、散策、ジョッキングなどそれぞれに楽しんでいる。 成田で買った免税スーパーライト(160円)で一服し、人を観察しながら、バックに入れたスケッチブックに絵筆を走らすことは気分のいいものだった。 日当たりのいいベンチでは太陽の陽を惜しむように市民が日向ぼっこしていた。 中世から城壁に囲まれ、常に外敵に恐怖感を持って限られた空間に密集して住んでいたヨーロッパの国民にとって、公共空間は解放された唯一の生活の潤い空間なのかもしれない。 住居の少ない日本の中心市街地と違って、6・7階立てのビルが多く、また大半が2階以上は住居として利用されており、緑と土のない石の住居に住む人々にとって公園の果たす役割は大きいのだろう。 住むところ、憩うところと、街にメリハリがあり極めて合理的であるようだ。
よく一人あたりの公園面積が欧米と比較されるが、日本の個人住宅の庭やさらに河川堤防(土堤)などをカウントしたら遜色ないのではないかと思う。 単に面積だけを比較しても生活の中で公園がその街、地域にとっていかなる機能を持っているかであると思われる。 【城壁と教会が中世ヨーロッパのまちづくりのシンボル】 ヨーロッパのどこの街にも城壁と教会がある。 遠くから観るとその尖塔のシルエットは街が近いことを教えてくれる。 教会、大聖堂、寺院は権威の象徴だ。 そしてその前には大きな広場が設えてある。 宗教建築は神の庇護を求め自然を超越した規模と高さを挑戦して作られたし、中の装飾や彫刻またステンドグラスなど視覚を通して神の存在を仮想させるのに十分であるし、その権威を実感させる仕掛けが多い。 信仰心があればまた違うのだろうが驚嘆してその後はなかった。 ドイツに日曜休日法があるように日曜は安息日で教会の礼拝日であり、休まないことを通報されれば罰金数十万円というぐらい厳しく、生活に教会が根付いている。
コミュニティーもすべて教会を中心としてできている。 日本にも寺社仏閣はあるが重要文化財の存在とは比較にならない。 まちづくりも教会や聖堂は街のランドマークとして、どんな通りからも人間の視線がこのランドマークに集まるような景観設計がなされている。 景観規制に高さ制限を設けているのもこのランドマークを越えてはならないし、隠してはならないという動かしがたい歴史的な理念が基本にある。 なによりも住民の心のよりどころであることには違いない。 日本にはこうした分かりやすい景観設計の理念はないことが主観の議論になっていると思う。 日本の寺社仏閣は鎮守の森や参道でむしろ恐れ多いものとして敬い、隠しているから面白い。
ヨーロッパ大陸は略奪の文化と言われている。 ギリシア人、ゲルマン人の大移動、ローマ帝国の制圧、フランク王国、十字軍と歴史に名を残すアレクサンダー、シーザー、ナポレオンみな侵略の歴史である。 他勢力の侵略から守るための城壁は日本の城しかみていない日本人にとってその侵略の歴史の深さを考えるとき、ヨーロッパのまちづくりの原点は街を外敵から守り寄り添って生きることだと思った。 ドイツの古城街道やメルヘン街道がその中世の歴史を残している。 河川はある時は運河に、ある時は防御線として、パリはセーヌ川のサンルイ・シテ島がセーヌ川を日本の城堀のようにしていたし、その後拡大した街には城壁を壊して跡地を環状高速道路としたし、ドイツのライン川とドナウ川がゲルマン民族進入やローマ帝国の防御線であったし、ローマは城壁を壊して新しい建築資材として繰り返し造り変えられてきた。 古い町並みローテンブルグも外観は忠実に昔のままだが、中に入ればエレベーター、バストイレつきの立派なホテルなのであるからこれまた脱帽です。 次回は、ヨーロッパの夜景の話などを!
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