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  Report by NEMOTO,Ken / Site arranged by Habane
"Kanon" by Johann Pachelbel
 

nemoto 私の乗った飛行機は、日が沈み薄暗くなった空港に滑り降りた。

 タクシーで市内に向かい、宿を探し、荷物を置いて街へ出る。

 旅のなかで最も心地よい瞬間である。

 宿を定めたという安堵感、荷物を持たず手ぶらで歩くことの開放感、初めての街であればどんな街なのだろうという好奇心(或いは1度訪れたことのある街なら懐かしさ)が混在した瞬間。

 この瞬間は、1ヶ所にしか滞在しない旅であれば、たった一度きりの瞬間である。

 そんな瞬間を味わいつつ、路地裏の何気ないカフェに入った。

マラケシュ

マラケシュ

(モロッコ)

 モスクのスピーカーから大音響のコーランが流れる。

 髭を蓄えた暑苦しい男達に囲まれながら甘ったるいアッツァイ(ミントティ)を口にしたとき、10年前の記憶が断片的に蘇った。

 と同時に私はこの地を再度訪れることが出来る環境にあることを幸せにも思った。

 若いときに経験したことはいつまでもその人の中に遠い記憶として残る。

 自分の思いが通じず結局片思いに終わってしまった初恋のことや生まれ育った会津そして親元を離れ東京での暮らしが始まった時のこととか。

 この遠い記憶は、自分が再び同じような状況に身を置いている時、或いは他人が同じような状況に身を置いている時、鮮明に蘇ってくることがある。

マラケシュ

マラケシュ

(モロッコ)

 10年前、私は確かにこの街にいた。

 当時の私の日記によれば、私は1週間程度この街に滞在していたことになる。

 モコッロのマラケシュは、かつてヒッピーの聖地としてネパールのカトマンズ、インドのゴアと並んで、三大聖地と謳われた街である。

 そんな街に憧れを抱いて、スペインから船でモロッコのタンジェという港町に入り、バス・列車を乗り継ぎカサブランカを経由してマラケシュへ辿り着いた。

 茹だるような暑い7月のある夕方だった。

 夕日に赤く染まる街が殊のほかきれいだった。

ジャマエルフナ広場

ジャマエルフナ広場

(マラケシュ)

 当時、未熟なバックパッカーだった私は、モロッコのタンジェという港町に入るなり、スペインでは経験することのなかった執拗な自称ガイドや客引きに付まとわれ驚き、そして辟易していた。

 なぜ、日本からわざわざアルバイトで貯めたお金を投じてこんなところに来てしまったのだろうとさえ思った。

 ボラれたり、騙されたり、時には怒ったりしながら、マラケシュに辿り着いたが、マラケシュでもバスターミナルを一歩出れば状況は同じだった。

 私が入った路地裏のカフェでは、多くのモロッコ人の男達が、私同様、アッツアイを飲みながら紫煙を燻らせている。

 しかし、この男達のアッツアイと煙草は私のそれとは意味合いが違うはずである。

 この男達はラマダン(断食)の真っ只中にあるからである。

路地裏

路地裏

(マラケシュ)

 ラマダン中、日が昇っている間は飲み物や食べ物を一切口にしない彼らは、日没と共にカフェに入り、思い思いに紫煙を燻らせ、甘ったるいアッツアイを啜っている。

 男達の中の一人がフランス語で私に話しかけてきた。

「マラケシュは初めてか?」

「2度目。10年前に来たことがあるんだ。」

「10年前に?10年前と言えば、このあたりは○○だった。今はきれいになったよ。」

 そう言われれば、確かに10年前はもっと雑然としていたような気がする。

 ○○なんている小奇麗なお店は無かった。

露天商

露天商

(マラケシュ)

 次の日、私は地図を持たずに街を歩いた。

 当時降り立ったバスターミナル、泊まっていた安宿、全ては初めてこの街に降り立った時の記憶を蘇らせるために。

 迷路のように入り組んだスークを彷徨いながら、あの時の自分と今ここにいる自分では何が変わったのだろうとか考えた。

 客観的には10年歳を重ねただけに過ぎない。

 それ以外何も変わっていないような気がする。

 強いて挙げるなら、社会人になって旅の予算に多少余裕が出来たということだろうか。

マラケシュの親子

マラケシュの親子

 それと、初めてこの街に来た時のあの感動が、今ではなんとも言えない懐かしさに変わったこと。

 夕方になると街の広場に大道芸人が集まり芸の披露が始まる。

 それを見る人だかり。

 活気ある屋台。

 そんな光景が私の遠い記憶にみずみずしさを与えてくれた。

 その瞬間、あの時客引きに絡まれながらも旅をしてよかったと思えた。

夕日に染まる街

夕日に染まる街

(マラケシュ)

 夕方近く路地裏の小道を歩いているとき、私に良く似た20代の日本人の若者の姿が遠くに見えた。

 私はその若者を目で追ったが、その若者はすぐに角を曲がり私の視界から消えていった。

 あれは、10年前の私だったのではないだろうか。

 いや、遠い記憶のなかで私は単に過去の自分とその若者を重ね合わせていただけなのかも知れない。

 夕日に赤く染まる街が10年前と同じくらいきれいだった。

(2005.11.9) 最終報投稿

《リニューアル配信:2020.2.16》 nemoto nemoto

葉羽

 CLAIR(財団法人自治体国際化協会)のロンドン事務所に派遣されていた根本君は、2006年3月で任期を終えて帰国いたしました。

 ということで“Englandの風”は、今回の最終報をもって終了とさせていただきます。

 連載終了後も非常に人気が高くアクセスが絶えないため、今般、デザインをリニューアルして再配信をさせていただきましたが、その再配信も今回で終了です。

 皆様、長い間の応援を本当にありがとうございました。

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