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大変遅くなりましたが、皆様、新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 先月から日本へ一時帰国しておりましたが、再びラゴスへ帰ってまいりました。 日本の便利な生活にドップリ浸ってしまいましたので、ラゴスに戻る時はかなり憂鬱な気分でしたが、ラゴスの空港についたらそんなことは言っていられません。 例によって、ボランティアを含む空港職員がわっと群がってきて、スーツケースやバッグをオープンするように要求。 賄賂要求なのはわかっているので、散々文句を言いつつ、とりあえずちらっと中味(ほとんど食糧)を見せて強行突破。 この時点で、すっかりラゴスモードにもどってしまったのでした。 さて、今回はヨーロッパ経由かドバイ経由かフライトの選択に迷ったのですが、チケットが安かったからドバイ経由にしたところ、ヨーロッパでは大雪のため、飛行機も飛べないような状況だったから、よかったよかったと思ったら、そんなに甘くはありません。 帰りのフライトが成田から経由地のドバイに到着したと思ったら、濃霧のためドバイ国際空港へ着陸できません。
霧が晴れるまで、しばらく旋回を続けましたが、いよいよ燃料も少なくなり、やむなく120kmほど離れた別の空港に着陸。 この時点ですでに3時間以上は、予定のフライト時間をオーバーしていたのですが、乗務員の交代要員が到着していないとかで、さらに数時間空港で足止め。 その間はずっと飛行機の中にすし詰めでした。 やっと乗務員が入れ替わり、めでたく離陸して、本来の経由地であるドバイ国際空港へ着陸。 乗り換え予定だった飛行機は、とっくの昔にラゴスへ向けて飛び立っていたので、これはドバイ泊かと少々の期待とともに航空会社に確認したところ、ぎりぎりで次のラゴスへのフライトに間に合った(間に合ってしまった)模様。
ということで、だらだら書きましたが、実に予定フライト時間を10時間近くオーバーして、合計30時間というロングフライトで、ラゴスへ戻ったのでした。 空港からアパートまではレンタカーで移動しましたが、さすがに深夜なので渋滞もなし、それでも街並みを見ると、不思議にちょっと懐かしいような不思議な気もします。まあ、アレルギーが出るよりもいいですが。 アパートの部屋は、いろいろ最悪の事態も想定していたのですが、思いのほか無事な模様。しかしながら、やはり水回りには問題があるようで、キッチンの水が完全に出ないのと、風呂のシャワーもほとんど出ない。冷蔵庫は奇跡的に動いていました。 ということで、新年、また新たにラゴスでの生活が始まりました。
今年は4月に大統領選挙があり、すでにいろいろ物騒な事件も多発しているようです。 本当に何が起こるかわからない場所ですので、安全第一で、あと1年ちょっとの任期を乗り切りたいと思います。 いつもお読みいただいている皆様、本当にありがとうございます。 引き続きよろしくお願いいたします。書き込みやメールでの連絡もお待ちしてます!
ラゴスへ戻り、仕事のほうも随分変化があったので、あわてて勉強などしてたらあっという間に数日が経ってしまいましたが、15日(土)には日本人会の新年会がありました。 プールサイドでバーベキューを食べながらの新年会でしたが、メンバーを見ると、企業関係者の奥様方が増えたせいか、とても華やかな雰囲気で心もなごみます。 おいしい肉をがつがつ食べて、ビールもたらふく飲んで、さあ引き上げようと思ったら、どこからかギターが出て来ました。
どうやら、商社関係者で、すでに帰国された方のギターがそのまま放置されているということで、私にいただけることになりました。 物は、YAMAKI Custom Folk Guitar。 恐らく1970年代初期の製品だと思いますが、実はこの時代の日本の廉価版・量産フォークギターは、思いのほかよい材質を使っているので、オークションや中古市場でも人気があるのです。 残念ながらラゴスからだと輸送費のほうが高くついてしまうので、恐らくこのギターはまた誰かに引き継がれることになるでしょうが、あと1年ちょっとは遊べそうです。 ギターをいただいたついでにリクエストがありましたので、さっそく何曲か伴奏して結構盛り上がりました。 カラオケのない世界では、流しが重宝するので、まだまだ活躍の場はありそうです。
その後ソフトボールリーグは、クリスマス休暇、年末年始の帰国者などの関係で、どのチームもメンバーが揃わず延期になっていましたが、この日は久々に試合がありました。 今日の最初の試合は、前回引き分けている、貝のマークの石油関係の会社です。 既得権のように、またピッチャーをやらせてもらいましたが、事件は1回表の守備で起こりました。
簡単にツーアウトを取った後にヒットを打たれて、バッターは4番。 いきなり強烈なピッチャー返しが来て、たまたま出したグラブにすっぽり収まり、拍手喝さいを浴びたまではよかったのですが、瞬間的に左膝を思い切りピッチャープレートにぶつけてしまいました。 どうもいやな痛みだなあと思いつつ、まだ歩けるので結局その後も続投してしまったのですが、これが後々問題を残すことになります。 さて試合のほうは、その後もピッチャー返しを何本か処理したり、固い守備にも守られて完封ペース。 日本チームの攻撃もさえて16-0。せっかくなので完封するかなどと色気を出したのがまずかったようで、いきなりホームランを含む連打を浴びて6点を失いましたが、ここで相手チームがギブアップ。 3試合目にして、日本チーム、やっと初勝利を上げることができました。 次の試合は、このグラウンドを持つCの字がつく米国の石油会社。マイグランドを持っているくらいだから、当然強いです。 このグラウンド、さすがにベースボールの国・米国の企業だけあり、きれいに整備されていて、広さも結構あるのですが、毎回ボカスカ打たれて、何とさく越えのホームランも3本は打たれたでしょうか。
守備のほうも、メジャーリーガー並の華麗な守備で、結局15-2でぼろ負け。 1試合目で痛めた左膝は、どんどん痛みが増してきたのですが、何とか投げることはできるので、2試合とも完投してしまったのですが、後で地獄を見ることになろうとは。 この日の夜は、インド料理のレストランで日本チームは祝杯を上げましたが、部屋へ戻るころには膝の痛みもピークに。翌日へ続きます。
朝起きたら、左膝が激痛のためまったく曲がりません。 とりあえず仕事には行かなければいけないので、部屋を出たら、階段を降りるのが一苦労。 その後、車の後部座席には乗れないので、フロントシートを思いっきり倒して、5分ほどかけて何とか乗り込みましたが、保健省へ行ってもみんなから、その足はどうしたんだと聞かれます。 とりあえず午前中は仕事をしたものの、万が一骨折でもしていると大変なことになるので、半休をいただき、病院へ行かせてもらうことにしました。
さて病院へ行くといっても、整形外科のある病院は限られているし、聞いたところでは、料金は思いっきり高いとのこと。 痛めた時にソフトは止めておけばよかったと今更後悔しても後の祭りですが、しかし、手術何てことになったらどうしようと考え始めたら、不安は増すばかり。 結局、ビジネスの中心地ビクトリア・アイランドにある思い切り高そうな病院へ行くことに決めましたが、電話連絡もつかなかったので、一か八かでいきなり訪問してみました。 さて病院へ入ると、さすがに高い料金で有名な病院だけあって、従業員の対応、設備等すばらしいものがあります。 事情を話したら、突然の訪問にもかかわらず、とりあえずレントゲンを撮って診察してくれることになりました。 レントゲンを撮る時は、膝を曲げろといわれても、曲がらないのだから大騒ぎ。 機械を見ると日本の大手電機メーカーT社のものです。 お前もはるばるラゴスまで来て頑張ってるんだなあなどと思いつつ、30分以上かけてレントゲン撮影終了。
膝のお皿が割れてますなどと言われないかとびくびくしてたら、医師の診断によると、骨には異常はないとのこと。靭帯を痛めている恐れがあるが、関節炎だろうとの診断でした。 どう考えてもただの関節炎ということはないだろうと思いつつ、痛み止めをもらって、引き上げることにしました。 料金は内緒ですが、びっくりするくらい高かったです。 仕事で地域の医療機関はたびたび訪問しているものの、この病院はまったく別世界。 しばらくラゴスにいることを忘れるくらい、豪華な施設に驚きつつ帰路についたのでした。
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