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 その44 国を愛していますか 

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今回の記事は2006年4月に配信されたものです。ちょうど国会で教育基本法の改正案が審議されようとしていた時期でした。

鞍馬 教育基本法の改正案で、愛国心について触れるかどうか、触れるとして、どういう表現にするかについて、与党内で決着がついたようです。

■ 国を愛するとはどういうことか

衆議院・参議院ともに与党で過半数を確保しているので、多少の修正があるにせよ、彼らの案で法律は改正されるでしょう。

私は、「愛国心は必要ですか?」と尋ねられれば、私は迷わず必要だと答えます。

何故なら、少なくとも私の解釈によれば、自分の生まれた国に愛情を持つのはとてもよいことだからです。

ですが、世の中には、国を愛しているから、スポーツの国際大会に出場して、国際親善に一役買おうとする人もいれば、ハイジャック機で高層ビルに突っ込んで、他国に攻撃を仕掛ける人もいます。

改正案では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、・・・」と、あまりにもさらりと書かれています。

国を愛するとはどういうことなのか、愛しているひとの行動はどんなものなのか、そのヒントさえこの一文からは読み取れません。

もしも私が教師だったとして、ある朝校長先生に呼ばれて、「今日からこの一文に基づいて、国を愛する心を生徒さんたちに教えてください。」といわれたらば、きっと困ります。

「国を愛するとはどういうことですか?」と聞き返したくなります。

■ 愛国心は、国に対する帰属意識

繰り返しになりますが、私は、「愛国心は必要ですか?」と尋ねられれば、私は迷わず必要だと答えます。

私の解釈によれば、愛国心とは、自分の生まれた国に対する強い帰属意識であって、さらに帰属意識とは、自分の帰属する組織に関する様々な評価や指摘を自分のことのように考えて、喜んだり反省したりする気持ちだと考えています。

簡単に言えば、日本という国や国民が、たとえば外国人から勤勉で誠実だと褒められれば、そこが日本のよいところなのだなと思って、自らもそういう人間であろうとする気持ちです。

逆に、自分がとった行動が、そのようなプラスの評価に反するものだったとき、日本人として恥ずかしいと自分を戒めることができるような気持ちです。

自分の帰属する組織に愛情や誇りを持って、その地位を貶めるような行いをしないというのは当然のことだと思います。

この帰属意識を会社という組織にあてはめれば、それはすなわち愛社精神となりますし、出身校という組織にあてはめれば愛校心となります。

人間は弱い生き物なので、選択を迫られたとき、つい楽な道を選んでしまいそうになります。

そんな時、この組織の一員としてどう考えるべきなんだろうと自問すると、自分にとって不利な答えが導き出されても、受け入れられます。しぶしぶですが・・・。

私が特に組織への依存心が強いからこんなことを思うのでしょうか。

■ 国を愛せよ

私は国を愛しているというか、勤勉で誠実という国のいいイメージを愛しているので、自分もそのようにあろうと心がけています。

逆に、そうではない行動をとっているニートやフリータの人たちは、同じ国民として恥ずかしいとすら思ってしまいます。

ところで、国を愛するとはどういうことか、国を愛しているからどういうことをしてほしいか、つまりどういう国民になってほしいかを定めてしまうことには賛否両論があります。

反論の最たるものが、愛国心=軍国主義という意見です。

これは、かつて行われたように、国の判断が間違ったらば、国民全員が間違ってしまうので、そのリスクをどうしてくれるんだという論調です。

そういう意見ももっともですが、私は国としてどういう国民になってもらいたいかを定めて、それに向けた教育をするべきだと考えています。

日本の強みや弱みがどこにあって、強みを伸ばすため、弱みを補うためにどんな人材が必要なのかを長期的に考えて、集中的に育成するという理念を示してはいけないという論調は、私には理解できません。

自分の子どもには、日本のすばらしさを伝え、「国を愛せよ」と教えてあげたいです。

鞍馬【2020.11.3 リニューアル・アップ】

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