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 その45 イージス艦衝突 

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今回の記事は元々の「鞍馬の意見」で2008年3月に配信されたものです。Dreamさんの通信レヴューで取り上げられていたので、こちらに追加アップしました。

鞍馬 イージス艦が漁船と衝突し、衝突された漁船に乗っていた漁師2名がいまだ行方不明という痛ましい事故がおきていますね。

■ イージス艦衝突

沖縄では米軍兵士による少女暴行事件なども起きていて、国内で軍事的な機関に対する目がいっそう厳しくなっている最中での出来事ということもあり、ニュースで連日報道されています。

先日、行方不明の2名のご親族の方が捜索の打ち切りを申し出たとか。

残されたご親族の皆さんも、事故にあわれたお二人もさぞご無念だろうと思います。

どこかで無事で居られるならば1日も早い発見を、もし亡くなっているならばご冥福をお祈りしています。

ですが、ここ数日の一方的な「自衛隊悪し。」という報道にはちょっと違和感を持っています。

■ 欠けている視点

確かに法律上、回避する義務があったのはイージス艦の方ですから、法的には、衝突された漁船には、何の落ち度もないことは明らかなようです。

ですが、「回避義務がないのにあえて避けるぐらいならば、むしろ甘んじて衝突されなさい。」と、法律に規定されているはずはなく、避けられる危険は積極的に避けるのが当然であるはずです。

そんな、「自分の身を自分で守る責任」というものが、法律以前に、生まれてきたモノすべてに課せられているのではないかと思うわけです。

報道によれば、他の漁船は衝突の30分ほど前から何かの船が近づいてくることに気づいています。

まったく針路を変えずに船団を横切ろうとするこの不審な船に危険を感じ、無線で情報を交換して次々に舵をきり、ほかの複数の漁船は事なきを得ています。

ただ一隻、衝突された漁船だけがそのような行動をとらなかった(一部の報道では、衝突の1分前に右に舵をきったとも言われていますね。)結果、今回のような事故が、不幸にも発生してしまったようにも見受けられます。

繰り返しますが、法律上、回避する義務があったのはイージス艦の方ですから、法的には、衝突された漁船には、何の落ち度もないことは明らかなようで、事故を起こしたイージス艦の乗組員たちの大変な脱法行為は当然に断罪されるべきです。

ただ、法律上、回避する義務が漁船の側になかったとしても、「自分の身を自分で守る責任」を怠ったことに、過失(あくまで「法律的なものではなく。」ですが・・。)はなかったかと、今回の報道の姿勢には、そういう視点があまりにも欠けてないかと感じています。

■ 元来どちらにもある責任

漁船団の針路がまったく逆、つまり、イージス艦の針路左側から漁船団が来ていて、こういう事故になった場合、どういう報道になったかなと想像してみます。

この場合、回避義務は漁船団にあるわけで、イージス艦はそのまま漁船団の針路に突っ込んでも、法律上は責任を問われることはないのかもしれません。

だとしても、「それでもイージス艦は、漁船団を避けるための最大限の努力をするべきだった。」という報道になるのではないかと思っていますし、むしろそうあるべきです。

なぜなら、自分の身を自分で守るということが、法律以前の当然の責任として存在しているからです。

そういう前提に立つと、法律の規定というのは「どちらに回避義務があるか」ではなく、「どちらがより積極的に回避行動をとるべきか」という、もっと広い意味として、法廷外では捉えられるべきです。

つまり、危険を回避する責任は元来どちらにもある、ということです。

この考え方を今回のケースに当てはめて見たとき、あまりにイージス艦の側の責任ばかりが攻め立てられている現状の報道に、若干の違和感を持つという心持に私はなります。

鞍馬【2021.11.9 リニューアル・アップ】

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