鞍馬 かつて「ごくせん」というドラマがありました。なかなか考えさせられることの多いストーリーでした。
■ 「それなり」ではいけない
一見普通な家庭に育てられて、軒並み落ちこぼれてしまった子ども達と、明らかにふつうではない家庭で育てられた熱血教員。
この原因(家庭)と結果(現時点での社会的地位)のアンバランスさがとても面白いです。
親はそれなりに社会的地位を得ているのに子どもが高校を中退するなんて話をたまに聞くと思います。
同級生に教員が多くいるので、私はそんな話をしょっちゅう聞きます。
もちろん、それ以外の大半の子どもはそれなりにやっていることも事実です。
ですが、そういう話を聞くたびに、「自分はそれなりにやっているが、子どもは大丈夫か?」と不安になります。
たぶん、「それなり」ではだめなんだと思います。
■ 手本か反面教師か
親が高校中退ならば、「親を反面教師に子どもはちゃんとやってくれるはず」という考え方は間違っていますし、親が大卒でちゃんと就職しているからといって「自分を手本として子どもはちゃんとやってくれるはず」というのもはっきり言って間違いです。
親を反面教師と思うか手本と思うかは、このままでは子どもの勝手です。
ですので、高校中退でも何とか乗り切れている親を手本に、「自分も高校をクビになっても何とかやっていける」と思うかもしれないし、仕事に追われ疲れて帰ってくる大卒の親を反面教師に、「大学に行ってもしょうがない」とか、「就職したくない」と思うかもしれないのです。
■ 親が向上心を持っているか
私は、たとえ高校中退であっても向上心があり続けるならば必ず成功できると考えています。
そして、本当に必要なのが学歴ではなく、向上心ならば、親が教えるべきものは勉強よりむしろ向上心をいかに持つかです。
少し補足すると、親が子どもに勉強を教えるというのは、「勉強を通して向上心を育む」という作業であるべきだということです。
親が高校中退や高卒で成功しているならば、自分を手本としてもらうために、その成功をつかみ取るためにしている(した)努力を教えなければなりません。
失敗していると思うならば、反面教師としてもらうために、それを予防する手段を、手本にしてもらうために、今からでも解決するために努力していることを、行動や言葉で明確に伝えなければなりません。
親が大卒だろうと同じです。
仕事に追い回されているならばそれを予防・解決するために努力していることを、自分を反面教師や手本にしてもらうために伝えなければなりません。
そしてその課程で一貫して教えなければならないのは、自分がどれだけ向上心をもって課題の解決や状況の改善に取り組んでいるかです。
つまり、子どもに向上心を教えるためには、親が常に向上心をもって課題の解決や状況の改善に取り組むことが重要であるということです。
自分でもできていない人の話は、たとえそれが親であろうと子どもは聞いてはくれません。
鞍馬【2020.4.7 リニューアル・アップ】
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