鞍馬 少し前に、「働くということ」(編:日本経済新聞社)を読みました。
■ モーニングコール付きアルバイト
ちなみに、この本では、「働くということはどういうことか?」がタイトルどおり述べられているわけではありません。
様々なひとの職業選択の過程や結果がドキュメンタリー形式で載せられています。
その中から読み手が、「働くということはどういうことか?」を見つけ出すことがこの本の狙いです。
その中で一つ、「そこまでして働いてもらわなくても」と思ってしまうような事例がありました。
アルバイトの人の出勤日になると、「この時間に起きないと間に合わない」という時間を逆算して、起きているかどうかを確認するための電話を雇っている側が入れます。
要するにモーニングコールです。
さらに「この時間に家を出なければ遅刻する」という時間に再度電話をかけ、「出られますか?がんばってください。」と激励の言葉をかけます。
「そこまでして働いてもらわなくても・・。」というのが第一印象です。
■ 日本が一つの会社だったら
確かにこの会社のことだけを考えれば、その人を雇うのではなく、他の人にすればいいだけの問題です。
新しく来た人に研修をして、仕事を覚えてもらうコストは余計にかかりますが、仕事の質は確保されます。
ですが、日本という国を一つの会社として考えた場合、そうは行きません。
現実の世界で、仕事をクビになるということは、国を一つの企業と考えた場合、その中で暇をもてあましている社員が一人増えるということです。
逆に現実世界に置き換えれば、所属する部署から「お前にやらせる仕事はない。」と追い出されたにもかかわらず、別の部署に拾われることなく、給料だけ払われ続けているようなものです。
■ 労働者の質の低下は個人や1企業の問題ではない
つまり、その人を国外追放にするか、やる気を起こして一人前に仕事をさせない限り、国はその人のためのコストを他人の税金から支払う一方で、本人は税金を払わないという「逆税金泥棒」的な状態が発生します。
しかもその人が働かないことによって、国全体の生産能力も低下します。
これはとんでもないことです。
アルバイトを含めた労働者(=社会人)の質の低さに手を焼いているというのは個人や1企業の間の問題ではないのです。
ここまで考えて、冒頭の私の第一印象が間違いだったことに気づきました。
自分の子どもを夢なしフリーターやニートにしないためだけでなく、既にそうなってしまった人達が少しでも多く社会復帰に向かうように、親として、社会人の先輩としてできることをこれからも考えて行きます。
鞍馬【2020.3.24 リニューアル・アップ】
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