PART
5 「捨石塚」
大熊町小塚の「製炭試験場」宿舎・研修場(今はないが)の前にあるのが「捨石塚」。ここで研修・研究を目指し訪れた人たちが、この地に向かう途中の里の河原で拾った石をここに置いたものが「塚」になったという。「自分は日本のエネルギー産業(製炭技術の向上をめざし)の捨石になる覚悟なのだ・・・」という意思を示したものらしい。昭和30年半ばまではその技術は生かされていたが、この後「炭を焼く」技術はこの国から消え去ってしまう。覚悟をもって「捨石」となった人たちの思いは、今別の形で実らねばならない時だと思う。
(2014.6.30)Kotuka Ookuka |