今回のお題は「眼」です。視力は親父が近眼だったので生まれた時から悪かった。高校を終わるまで黒板の字など見たことがなかった。
(大学はそもそも授業に出ないから関係ないです。)
従って文系の科目は他で暗記が効くからなんとかなるが、理数系の科目はその解答を導き出す過程を黒板で解説するのだから、全くもって手に負えなかったのです。
眼鏡をかければ済む話ではないかと言いますが、家が貧乏だったので親に眼鏡を買ってと言えなかった(涙、涙、涙)というよりは、外見にこだわっていただけでした。
結構、そういう人間が多かったです。
(御身内に勉強はするのにいまいち学力が上がらないという方がいたら視力検査を抜き打ちで受けさせてください。学校の検査では視力表を暗記してしまうことが可能なので。私がそうでした。)
さすがに大学に入る頃には裸眼では相手の捨てた麻雀牌も見えなくなりビン底眼鏡をかけ始めましたが、20歳過ぎには重い眼精疲労で眼の周りが三叉神経痛のようにキリキリ痛み、目薬と鎮痛薬が欠かせなくなりました。
そんな生活を何十年と続けた結果、忘れもしない45歳の時に決定的な事件が起きました。きっかけはテニスでした。
(本当にテニスでいい思いをしたことはなかったな~。勝てないのはもちろん怒られたり、けなされたり、バカにされたり、仲間はずれにされたり。何が面白くて続けたんだろう。)
真夏の午後、テニスの真最中に右目にポコポコと下から上に向かって熱帯魚の水槽のように泡がポコポコと見え出しました。それにもかかわらずテニスを続けていると視野の下が砂嵐のように見えてきました。
さすがにやばいと思い眼科に直行したところ異状なしとのこと。しかし、目には人一倍気をつけていたのでこの症状から導き出される結論は「網膜剥離」以外にあり得ないと思っていました。
頭の中ではそう思っていたのに、医者から異状なしと言われると人間とは弱いものでまたテニスへ戻った自分がいました。この辺はひき逃げ犯人と同じで、ぶつけたと思ってもそれを認めたくない弱さのせいで逃げてしまうのです。
結局、砂嵐の症状が消えなかったので別な眼科に行ったら1/3程度網膜がはがれており即日入院との紹介状をもらいました。
幸いなことに担当医が県下一の名医で3週間程度の入院で無事退院することができました。しかし、翌日、方眼紙を見ていたら線が歪むのです。
(50代になれば片目ずつ方眼紙をみて線が歪まないかどうか自分で検査してください。重大な病気を未然に防げます。)
慌てて病院に駆け込んだらやはり網膜が剥がれているとのことで即入院再手術となりました。しかも手術の最中に最初の手術法ではうまくいかず別な手術法に切り替えるというおまけ付きでした。
(局所麻酔なので、最初の眼球に麻酔注射を打たれる恐怖を克服すれば痛みはない。)
最初の入院の時は左目が見えるから仮に失明してもしょうがないとお気楽に考えていました。
2回目の入院時は同じ病気で失明者を見たせいか、失明の恐怖がつのり視力が戻れば手足の1本ぐらいなくなってもいいとまで思うようになりました。
手足に障害のある方には申し訳ないと思いますが、視力の大切が身に沁みました。
がんと一緒で無事に5年を経過すれば完治とのことでしたので、この間はいつも心のどこかに不安がありました。
(テニスは続けてました。)
その後は、白内障になったぐらいで今に至っております。網膜剥離自体は全く痛みがありません。私のように強度近視の人は眼球が延びるので網膜がはがれやすいので気を付けてください。
網膜剥離の前段階に網膜裂孔というのがあります。私も経験しましたが字のとおり網膜に穴が開くことで、これは外来でレーザーにより治療可能で数分の照射中、多少は目が痛みます。
最後に何かのCMじゃありませんが、人生の節目節目に体も精神も変化するのでその時に何らかの病気を発病するか、原因となってその後病気になるものだなとつくづく感じている次第です。
余談ですが、その名医と某医大で再会したときに氏名をいってその節はお世話になりましたとお礼をいったところ、最初何の話かわからず右目の網膜・・・と言いかけたら、その右目をのぞき込み大きくうなずかれました。さすが、プロは違うなと感心したところです。
《配信:2016.7.2》by GOTO
葉羽 砂嵐は映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』より♪ |