【昭和 listen】#249〜「ド演歌」が一つ消えた
演歌には大きく分けて、3種類ある。
演歌とは、もともとは政治批判、政治宣伝の唄であり、そのルーツは自由民権運動に求めることが出来るとされる。
それは、明治政府=藩閥の専断政治への怨嗟の声であり、「怒り」の心情がシンボル化されたもの。
明治政府の弾圧が苛烈を極める中で、自由民権運動の活動家が、国会開設という当時の政治参加の欲求をメロディーに託しながら、「政治権力批判」「時局風刺」「悲憤慷慨」の演説・宣伝・扇動歌を遊説活動の一方法として全国に広めた「流行り唄」が、添田唖蝉坊(「ラッパ節」「金々節(=既述)」など)に代表される「演歌」の起源だというわけである。
演歌には第2のルーツもある。昨年100周年を迎えた関東大震災のころ。
映画化もされた「福田村事件」に代表される朝鮮人虐殺事件や大杉栄、伊藤野枝惨殺事件などからも窺えるように、震災で焦土化した廃墟の街に寒々とした陰惨な空気が流れる中で、荒んだ人々の心を慰め、和ませたのが、前記唖蝉坊の長男・添田知道による「復興節」や野口雨情による「船頭小唄」など。これも演歌と称された。
そして三つ目が、1960年代半ば以降に大衆芸能として人気となったジャンル。
これには「暗さ」や「感傷性」を持つ「艶歌」や、五木寛之が定義した藤圭子に代表される「怨歌」も含まれる雑多な音楽群だ、
暮れに亡くなった八代亜紀さんは「演歌の女王」「演歌の大御所」と呼ばれたが、演歌の亜流でドロ臭い「ド演歌」というのもあった。その「ド演歌」の星が一つ消えた。
冠二郎さんが心不全のため元日に死去。享年79歳、R.I.P.
韓国にもトロット(트로트)という日本の演歌から派生したジャンルがあるが、冠二郎さんの唄はこれに近いような感じがしないでもないが、これはこれで良し。奥さんは31歳年下だそうだ。
昭和 listen 通算249曲目。作詞は五木寛之。
♬ 旅の終りに(昭和52年) / 冠二郎
https://www.youtube.com/watch?v=tzK5qJ6Iut0
毒舌亭(2024.1.31up) |