「もともとスポーツが好きだったんですね?」
「好きというよりも、スポーツしかできないようなタイプでした。嫌いな勉強をしたくないこともあって、“私はスポーツで生きていくんだ”と。」
オリンピックに引き続き、8月29日からロンドンで開催されるパラリンピックの女子陸上日本代表中西麻耶選手が話題になっています。
かの有名な「きっこのブログ」で紹介されていたのを見て驚きました。
それは、麻耶選手が「義足のヌードカレンダー」を発売したからです。
中西麻耶選手と言えば、2007年に初めて出場したレースで、いきなり100メートルの日本記録を樹立、その年の内に、200メートルでも日本記録樹立という鮮烈なデビューを飾りました。
その一年後に出場した北京パラリンピック大会では、同じ100メートルと200メートルで、日本人女子初の入賞に輝いたのです。
しかし、もっと驚くのは、彼女が右脚を失ったのは2006年という事実!
つまり彼女は、職場の事故で右脚を失い、義足で歩く練習を始めたその翌年に、日本記録を樹立するまでのスプリンターに成長したのです。
これは、とんでもないことではありませんか。
彼女は大分県の中学時代からはじめたソフトテニスの世界で、2008年の大分国体を目指し、練習に励む毎日でした。
ところが2006年、高校卒業後に就職した鉄骨塗装の会社で思わぬ事故に遭遇します。
作業をしていた場所に並べてあった鉄骨が荷崩れを起こし、彼女の右脚が下敷きになってしまったのです。
「痛い!」と思ったのは一瞬で、すぐに何も感覚が無くなりました。
運び込まれた病院では、切断をするか、あるいは時間がかかっても神経を繋ぐか選択を迫られます。
しかし、神経を繋ぐのには二年かかり、しかも元のように100%自分の体重を支えることはおそらく無理であろうと…。
彼女は二年後の大分国体に全てをかけていました…義足にすれば出場できるのではないか?
「こんなことで選手生命を失ってたまるか!」
両親の反対を押し切り、『右脚切断』を選択します。
しかし…
彼女は、「義足さえつければ元のように動ける」という考えの甘さを思い知ることになります。
まず、「テニス用の義足」そのもが存在しませんでした。
「もう取り返しがつかない」…絶望感にさいなまれる中西麻耶さん。
しかし、そこで全てをあきらめることはしませんでした。
藁にもすがる思いでインターネットを検索し、スポーツ義足製作の第一人者、臼井二美男氏の存在を知ることになります。
すぐに会いに行き、彼に連れて行かれたのが、熊本県で開催されていた障害者競技会「九州チャレンジ陸上競技選手権大会」でした。
そこで、ある想いがこみ上げてきます。
「この中に私ほど厳しい練習に耐えてきた選手はいるのだろうか?ここにいる人達に負けたくない」と。
周囲からの同情の視線をむしろ悔しいと感じた彼女は、臼井二美男氏に義足の製作を依頼し、早速、歩く訓練を開始。
翌年からは義足で走る訓練を開始し、必至の思いで記録を積み重ねながら、その年のうちに日本記録樹立という偉業を達成したのです。
そして、北京で日本女子初めての入賞という輝かしい記録まで。
ところが…
当然のようにメダルを目指して努力してきた彼女は、「入賞」に甘んじることを潔しとしませんでした。
「このままじゃ、日本に帰れない」
自分が井の中の蛙だったことに気づいた彼女は、パラリンピックの名アスリートを数多く輩出しているアメリカ行きを決意。
サンディエゴにあるナショナル・トレーニングセンターで、専門のコーチから指導を仰ぐことに。
しかし、月1000ドルはかかる滞在費や施設利用費などはすべて自己負担。
就労ビザが無い彼女はバイトをすることもできず、車で寝泊りしたり、友人から貰った衣服を着回すなど、ギリギリの生活を余儀なくされました。
さらに悪いことに…
ドイツとオランダの遠征から戻ってみると、コーチが引き抜かれて一人ぼっちになっていたのです。
そんな彼女に声をかける人物がいました。
「たった一人で練習しているけど、大丈夫なのか?」
その人物こそ、1984年ロサンゼルスオリンピックの三段跳び金メダリストのアル・ジョイナー。
中西麻耶さんは、彼に付いて以前からやってみたかった三段跳びにチャレンジすることになります。
そして二年。
帰国後に初めて出場した大会で、日本記録4であったメートル46を塗り替える4メートル71の記録を樹立。
8月29日から9月9日まで開催されるロンドン・パラリンピックの日本代表に選出され、世界記録5メートル09超えを目指すことになりました。
「練習では5メートル10とか12を出しているので、私とアルは、もう世界記録を更新するものだと思っています。あとは風や、ファウルせずにボードにうまく乗れるか乗れないか・・・。」
しかし、オリンピックのようにスポンサーがつかないパラリンピックでは、渡航費用も全て自腹。
カツカツの生活を送って練習にいそしんでいる彼女が捻出するのは至難の業…。
そこで考えたのが、今回の「セミヌード・カレンダー」。
これを売ることによって、何とかと高費用をまかなおうとしているのです。
今年3月から一年間という変則的なカレンダーですが、マスコミやネットで紹介されたこともあり、初版の2000部は完売。
しかし、まだまだ渡航費用には不足なので、増刷され、amazonなどで販売されています。
今年はオリンピックばかりではありません。
“隻脚のヴィーナス”中西麻耶さんの活躍を、みんなで応援いたしましょう。
《配信:2012.7.26》
葉羽 また、以下の口座で、直接の寄付も受け付けているそうです。(「きっこのブログ」情報)
「中西麻耶アスリート支援」
大分銀行本店(001)
普通 6884028 |